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多岐亡羊

来源:长理培训发布时间:2017-12-12 16:22:43

 学問には知識の集積と理論分析が必要なことは言うまでもないが、いたずらなる枝葉末節のせんさくに堕して、その本筋の目標を見失うのは愚かなことであるという意味を諷した寓話で、「烈士」の?説符篇?に見えている。

  楊子の隣人の羊が一匹逃げた。その隣人は一家総出で、楊子の家の小者まで助太刀に頼み、羊探しに出かけるというさわぎに、楊子が、

  「たった一匹の羊をなぜそんなに多勢で追いかけるのか?」

  と尋ねると、「逃げた方角には岐路が多いから。」

  という答え。やがて連中はクタクタになって帰ってきて、「岐路の中にまた岐路があって、とうとう羊がどこに行ったかわからなくなった。」と言う。楊子はその話をきくと、すっかりふさぎこんで、しばしば物も言わず、その日一日、笑い顔さえみせない。弟子たちは、たかがつまらぬ羊一匹、しかも自分のものでもないのに、楊子がなぜそんなにふさぎこんでしまったのか見当がつかず、訳をきいても返事をしてくれない。

  他日、賢い弟子の一人が、このことについて、楊子と問答した結果、目標が羊一匹であっても、岐れ路、岐れ路と迷いこんで追求するようでは結局それを見失ってしまう。学問の道もそのようなもので、帰一する大事なポイントを見失うような追究の仕方は無意味であるということを悟ったというのである。学問の分化的傾向の甚しい今日の学者先生たちにも、よく心得ておいてもらいたい話ではあるまいか。

  似たような話が「荘子」の?駢拇篇?にもある。ある家に二人の下男があって、それぞれ羊の番をしていたが、二人とも番をしていた羊を逃がしてしまった。主人が怒って、

  「いったい貴様たちは何をしていたんだ。」

  ときくと、一人は、「本を読むのに夢中になっていたもんで。」

  と答え、一人は、「さいころ遊びに気をとられてつい……。」と答えた。

  なるほど二人のやっていたことには相違がある。しかし羊の番をするという肝心の目的を見失った結果においては変りがない。要はほんとうの目的をしっかり把握しておくことだというのである。

  これも学問、いや学問ばかりではない。すべてのしごと、人間の生きかたというものについて深い示唆を与える話といえよう。

责编:李亚林

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