江海(こうかい)の能(よ)く百谷(ひゃつこく)の王たる(政治家は謙虚なれ)
大河や山が幾百(いくひゃく)もの谷川の水を集めてその王となっておれる理由は、それらが低いところにあってうまくへりくだっているから、だから、幾百もの谷川の王となっておれるのだ。それゆえ、統治者となって人民の上に立ちたいと望むなら、必ず自分のことばを謙虚にして人にへりくだり、指導者となって人民の先頭に立ちたいと望むなら、必ず自分のふるまいを抑(おさ)えて人の後からついてゆくことだ。
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それゆえ、聖人は、統治者として高い位についていても、人民はそれを重荷とはせず、指導者として全面に立っていても、人民はそれをじゃまだとは思わない。それゆえ、世界じゅうの人びとが喜んでかれを推戴(すいたい)して、だれもいやがらないのだ。聖人はまた人と争うことがないから、だから世界じゅうにかれと争うことのできるものはだれもいないのだ。
江海(こうかい)の能(よ)く百谷(ひゃつこく)の王たる所以(ゆえん)の者は、其の善(よ)くこれに下(くだ)るを以(もつ)て、故に能く百谷の王たり。是(ここ)を以(もつ)て民にか下(かみ)たらんと欲(ほつ)すれば、必ず言(げん)を以てこれに下り、民に先(さき)んぜんと欲すれば、必ず身(み)を以てこれに後(おく)る。
是(ここ)を以て聖人は、上(かみ)に処(お)るも而(しか)も民は重しとせず、前(まえ)に処るも而も民は害とせず。是を以て天下は推(お)すことを楽しんで厭(いと)わず。其の争わざるを以て、故に天下能(よ)くこれと争う莫(な)し。
江海所以能為百谷王者、以其善下之、故能為百谷王。是以欲上民、必以言下之、欲先民、必以身後之。
是以聖人、処上而民不重、処前而民不害。是以天下楽推而不厭。以其不争、故天下莫能与之争。
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