三十幅共一殺。当其無、有車之用。
以為器。当其無、有器之用。☼戸☼以為室。当其無、有室之用。故有之以為利、無之以為用。
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「有」に対する「無」の根源的なはたらきを説くで章ある。存在するもの、形のあるものに、人は目をうばわれる。そこから受けた恩恵を、人はそれだけのものとして受けとるだけである。その形のあるもの、「有」のはたらきをささえている大きな力に目をそそごうとしない。「有」をささえるものは「無」である。なにも無いということは、なんの役にもたたないよにみえて、実はそうでない、かえって形のあるものにその役割を与え、性格づけ、存在の価値づけをしているのだということを、車輪とか器物とか家とかの例によって説いたのである。たとえは卑近(ひきん)であっも、示唆(しさ)するところは深く大きい。現象の奥にはたらく「道」の世界をさし示していることは、もとよりいうまでもない。
●車輪の構造をすこし述べておこう。周辺の輪を中心からささえている棒が輻(ふく)。その放射状に出た輻を車輪の中心にあって、ささえているのが穀(こく)。穀のには車軸(しゃじく)をとおすための空洞(がらんどう)の穴があいている。それがここでいう「其(そ)の無」である。車輪はこれによって回転して作用する。●「戸口やをくりぬく」というのは、中国の西北地方で今もみられる穴居の家(ヤオトン)を考えると、よく理解できる。内部の空間(「其(そ)の無」)を作らないと、家としての
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