- 讲师:刘萍萍 / 谢楠
- 课时:160h
- 价格 4580 元
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世間的な強さ聡明(そうめい)さで栄光の道を歩もうとするのは、それこそ現象に流されているだけで、他人の標的ともなって危険である。それをわきまえ、それを踏まえながら、逆に人の目につかない、むしろ汚辱(おじょく)の道を弱々しい柔軟な態度で歩むものが、まことの勝利者となる。なぜか。それはその柔軟の汚濁の歩みこそが本来の道の立場に復帰する歩みだからである。「嬰児」(えいじ)の無垢(むく)の純粋さ(第十章、第二十章参照)、「無極」の果てしない茫漠(ぼうばく)の世界、そして素朴な本質(第十五章、第十九章参照)にたち帰ることは、そのまま「道」の立場に近づくことであった。
◎「常の徳」は第一章の「常の道」とあい応じている。根源的な不変の唯一(ゆいいつ)の「道」から、それに直結してあらわれ出た不変の「徳」(はたらき)である。⊙其の黒を守り」から「其の栄を知り」までの六句を、後からの付加文として除くべしとする説が、易順鼎(えきじゅんてい)·馬叙倫(ばじょうりん)·高亨(こうこう)などによって主張されている。主な理由は『荘子』(そうじ)天下篇の引用にそれがないこと、『老子』ではもともと白と辱(じょく)とが対応すること(第四十章〈旧四十一章〉「大白は辱なるが若(ごと)し」)などであって、十分の理由がある。帛書(はくしょ)乙本では白。黒の対の六句はなかったものであろう。◎「官の長と為(な)す」は、「と為(な)る」と読んで、聖人自身のこととみることもできるが、それでは聖人の品格が下がる。他章の例からすると、ここは有為の人材を使ってみずからは無為の統治者となる聖人のことであろう。◎「大制は割かず」は、第四十章の「大方は隅(かど)なし」などと似た諺(ことわざ)めいたことばであるから、一つの引用語とみることもできる。「割かず」の「不」の字は「無」となっているテクストも多いが、底本と河上公(かじょうこう)本に従った。
责编:刘卓
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