重為軽根、静為躁君。
是以君子、終日行、不離 重。栄観、えんしょ超然。いかん万乗之主、而以身軽天下。
軽則失本、躁則失君。
静かに落ちついて、重(おも)おもしくどっしりと根を張ったものが、最後の勝利者として支配者になるという。機敏軽妙な応対、そして手びろく派手な動きをするものは、なるほど一時の人気を得るかもしれない。しかし、それは長つづきはしない。第十六章(六一ページ)に「虚(きょ)を致(いた)すこと極まり、静を守ること篤(あつ)し」とあったあの立場である。あの深い静けさのなかにどっしりと重おもしく身を沈めること、それが老子の理想であった。軽挙妄動(けいきょもうどう)への戒(いまし)めでもある。
この章では、始め二句の一段と最後二句の一段とがよく対応した連続性があり、中間の一段は説明文としてあとから加えられたものらしい。
「君子」は底本では「聖人」とあるが、いま帛書(はくしょ)に従う。『韓非子(かんびし)』の引用でも「君子」とあり、けいどうは「卿(けい)·大夫·しのことだ」という。下の「万乗の主」と対応がよい。「栄観(えいかん)」は、「栄」が栄華、「観」は楼台(ろうだい)·たかどのの意で、華やかな宮廷での動きのある公的な生活をさす。「えんしょ」は私的なくつろぎの場にいること。「身を以て天下より軽しとせんや」は読みにくいことばであるが、第十三章の「身を以てするを天下を為(おさ)めるよりも貴ぶ」という句と類似の句法として解釈した。「天下」の上に「於」あるいは「于」の字のある引用もある(『群書治要(ぐんしょちよう)』『韓非子』)。わが身を世界じゅうのことよりも重いと考えて、慎重にふるまうべきだという。
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