悠兮其貴言、功成事遂、百姓皆謂我自然。
無為自然(むいしぜん)の政治を説く章である。政治は人を治めることだ、などと考えてはいけない。政治のあることを人民に意識させて、ありがたいとか厭(いや)だとか思わせるような政治はだめだという。われわれはおのずからひとりでにこうなのだと人民が考えるような、政治の跡を残さない政治、それが自然な政治であり「大上」の政治である。
「大上」は最上ということ。「太上」とするテクストもあるが同じ。ここでは『韓非子』(かんびし)に従って君主のこととしたが、また太古の理想時代とみる解釈もある。下文の「其次」の解釈もそれによって変わる。時代が降(くだ)るほど政治も悪くなるというのは『老子』の尚古(しょうこ)思想とも合致するが、この章の解釈としては君主のありかたとみるのが古い意味である。もちろん、そこに時代の流れを重ねて考えることも可能である。「下」の字が「不Jとなって、「これ有るを知らず―そんな人物のいることさえも知らない―」と読むテクストもあるが、それは新しい時代の書きかえである。「其の次」以下は、「恵みを施すから」と補ったのは儒教的な仁愛の政治、「刑罰をきびしくするから」と補ったのは法家(ほうか)的な厳刑主義の政治が、考えられているからである。太古純朴な政治から儒教の徳治、そして恩恵になれた人民を統制する法治へという、歴史的な移りゆきを考えることも許されるが、やはり「道」から離れてゆく君主のありかたとするのがよい。最後の「侮る」の上の「其の次」、帛書(はくしょ)では甲・乙本とも
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