寵辱(ちょうじょく)は驚くが春し(世俗の価値よりわが身が大事)
寵愛(ちょうあい)をうけるか屈辱(くつじょく)をうけるか、人びとはそれにびくびくして不安でいる。それは、名誉とか財産とかいった大きな心配ごとをたいせつなものとして、わが身と同じように考えているからだ。
寵愛と屈辱とにびくびくと不安でいるというのは、どういうことか。寵愛をよい
こととし、屈辱を悪いこととして、うまくい<かとびくびくし、だめになるかと不
安でいる。それが、寵愛と屈辱とにびくびくと不安でいるということだ。
名誉とか財産とかの大きな心配ごとをたいせつなものとして、わが身と同じよう
に考えているというのは、どういうことか。われわれが大きな心配ごとを持つこと
になるのは、われわれに身体があってこそのことだ。われわれに身体がないという
ことであれば、われわれに何の心配ごとが起ころうか。してみると、身体こそが根
本だとわかるだろう。
だから、天下を治めるといつたことよりも、わが身のことをたいせつにするという
人にこそ、天下をまかせることができるし、天下を治めるといったことよりも、
わが身のことをいたわるという人にこそ、天下をあずけることができるのだ。
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