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「道」

来源:长理培训发布时间:2017-08-12 18:13:10

 天下皆知美之為美、斯悪。皆知善之為善、斯不善

故有無相生、難易相成、長短相形、高下相傾、音声相和、前後相随。

是以聖人処無為之事、行不言之教。

万物作焉而不辞、生不有、為不恃。功成弗居。夫唯弗居、是以不去。

「道」のことから一転して、ここでは現実の世界の真相が語られ、それに対処する聖人のありかたが述べられる。われわれが日常生活のなかで認識する価値概念はすべて相対的なものである。それを絶対的なものと考えて固執(こしつ)するところに、人びとのあわただしく悲しいうごめきがある。何が真の美であり、何が真の善であるのか。いったい真善·真美という極致の一点があるのか、ないのか。そこを考えてみなければならない。世界の真相を洞察(どうさつ)した聖人は、「無為」「不言」の行動に従ってあるがままに自然である。それこそ、実は「道」のありかたそのものであった。

「美しいものを美しいとわきまえる(美の美たるを知る)」というその「知る」の意味を重くみて、「美しいとわきまえると、その認識にともなってそこに醜(みにく)さが出てくる」とする解釈もある。下の「善」の場合も同じで、「善いと認識すると、そこに不善が生まれる」と解釈される。金蘭斎(きんらんさい)『老子経国字解(こくじかい)』のいうように「無心なれば真にかなう」わけである。P21句の意味としてはそれでも通用するが、下文の「まこと、有ると無いとは相(あ)い生じ」以下の一段との連続で考えると、ここを「有心」「無心」で解釈するのは適当でない。なお、下文の一段の最後、「前と後と相い随(したが)う」の下には、帛書(はくしょ)甲·乙本とも「恒也」の二字がある。「常なり」と読んで、上に述べた相対性を一定不変の真理であるとおさえたことばである。帛書だけにあることばであって、もちろん無くて通ずる。「聖人」は『老子』のなかでの理想の人格。『荘子(そうじ)』では「至人(しじん)「真人(しんじん)」なども見えるが、『老子』にはない。儒家のいう尭(ぎょう)·舜(しゅん)などの特定の人物をさす聖人とは違って、絶対不変の「道」と合一した最高の境地にある理想者である。「無為」は「為すこと無し」であるが、何もしないことではない。ことさらなわざとらしいことをしないで、自然にふるまうこと、人間としてのさかしらの知恵やかってな感情をすてて、自然界のおのずからなありかたに従って行動するのである。「無為を為(な)す」ということばもあるように(第三章)「無為」は『老子』の理想的な行動様式であった。「万物が活発に動いても…」より以下は、上文の「無為の事に処(お)り、不言の教えを行なう」という聖人のありかたを、さらに内容的に詳しく解説したものとみられる。そして、第三十四章や第五十一章で、ここと同じことばが「道」のはたらきとして述べられているのを参照すると、この聖人のふるまいは、そのまま「道」のはたらきと一致しているのだとわかる。「万物(ここ)に作(おこ)るもも辞(ことば)せず(万物作焉而不寺)」の句は、帛書乙本では「万物昔而弗始」とある。「昔」は「作」と、「始」は「辞」と発音が近くて通ずる。P22焉」字のないテクスト、「始」字になっているテクストは、ほかにもある。「万物の興る始源とはならない」と、「始」の字の意味で読む説もあり、「辞」を辞退の意味にみて「世俗の労をいとわない」というように解釈するのもあるが、上文の「不言」との関係でいえば、「辞」はやはり言辞(ことば)の意味であろう。

责编:刘卓

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