- 讲师:刘萍萍 / 谢楠
- 课时:160h
- 价格 4580 元
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ステッセルは降(くだ)った。講和は成立した。将軍は凱旋した。兵隊も歓迎された。しかし浩さんはまだ坑から上って来ない。図(はか)らず新橋へ行って色の黒い将軍を見、色の黒い軍曹を見、背(せ)の低い軍曹の御母(おっか)さんを見て涙まで流して愉快に感じた。同時に浩さんはなぜ壕から上がって来(こ)んのだろうと思った。浩さんにも御母さんがある。この軍曹のそれのように背は低くない、また冷飯草履(ひやめしぞうり)を穿(は)いた事はあるまいが、もし浩さんが無事に戦地から帰ってきて御母さんが新橋へ出迎えに来られたとすれば、やはりあの婆さんのようにぶら下がるかも知れない。浩さんもプラットフォームの上で物足らぬ顔をして御母さんの群集の中から出てくるのを待つだろう。それを思うと可哀そうなのは坑を出て来ない浩さんよりも、浮世の風にあたっている御母(おっか)さんだ。塹壕(ざんごう)に飛び込むまではとにかく、飛び込んでしまえばそれまでである。娑婆(しゃば)の天気は晴であろうとも曇であろうとも頓着(とんじゃく)はなかろう。しかし取り残された御母さんはそうは行かぬ。そら雨が降る、垂(た)れ籠(こ)めて浩さんの事を思い出す。そら晴れた、表へ出て浩さんの友達に逢(あ)う。歓迎で国旗を出す、あれが生きていたらと愚痴(ぐち)っぽくなる。洗湯(せんとう)で年頃の娘が湯を汲(く)んでくれる、あんな嫁がいたらと昔を偲(しの)ぶ。これでは生きているのが苦痛である。それも子福者であるなら一人なくなっても、あとに慰めてくれるものもある。しかし親一人子一人の家族が半分欠けたら、瓢箪(ひょうたん)の中から折れたと同じようなものでしめ括(くく)りがつかぬ。軍曹の婆さんではないが年寄りのぶら下がるものがない。御母さんは今に浩一(こういち)が帰って来たらばと、皺(しわ)だらけの指を日夜(にちや)に折り尽してぶら下がる日を待ち焦(こ)がれたのである。そのぶら下がる当人は旗を持って思い切りよく塹壕の中へ飛び込んで、今に至るまで上がって来ない。白髪(しらが)は増したかも知れぬが将軍は歓呼(かんこ)の裡(うち)に帰来(きらい)した。色は黒くなっても軍曹は得意にプラットフォームの上に飛び下りた。白髪になろうと日に焼けようと帰りさえすればぶら下がるに差(さ)し支(つか)えはない。右の腕を繃帯(ほうたい)で釣るして左の足が義足と変化しても帰りさえすれば構わん。構わんと云うのに浩さんは依然として坑(あな)から上がって来ない。これでも上がって来ないなら御母さんの方からあとを追いかけて坑の中へ飛び込むより仕方がない。
幸い今日は閑(ひま)だから浩さんのうちへ行って、久し振りに御母さんを慰めてやろう? 慰めに行くのはいいがあすこへ行くと、行くたびに泣かれるので困る。せんだってなどは一時間半ばかり泣き続けに泣かれて、しまいには大抵な挨拶(あいさつ)はし尽して、大(おおい)に応対に窮したくらいだ。その時御母さんはせめて気立ての優しい嫁でもおりましたら、こんな時には力になりますのにとしきりに嫁々と繰り返して大に余を困らせた。それも一段落告げたからもう善(よ)かろうと御免(ごめん)蒙(こうむ)りかけると、あなたに是非見て頂くものがあると云うから、何ですと聴いたら浩一の日記ですと云う。なるほど亡友の日記は面白かろう。元来日記と云うものはその日その日の出来事を書き記(し)るすのみならず、また時々刻々(じじこっこく)の心ゆきを遠慮なく吐き出すものだから、いかに親友の手帳でも断りなしに目を通す訳には行かぬが、御母さんが承諾する――否(いな)先方から依頼する以上は無論興味のある仕事に相違ない。だから御母さんに読んでくれと云われたときは大に乗気になってそれは是非見せてちょうだいとまで云おうと思ったが、この上また日記で泣かれるような事があっては大変だ。とうてい余の手際(てぎわ)では切り抜ける訳には行かぬ。ことに時刻を限ってある人と面会の約束をした刻限も逼(せま)っているから、これは追って改めて上がって緩々(ゆるゆる)拝見を致す事に願いましょうと逃げ出したくらいである。以上の理由で訪問はちと辟易(へきえき)の体(てい)である。もっとも日記は読みたくない事もない。泣かれるのも少しなら厭(いや)とは云わない。元々木や石で出来上ったと云う訳ではないから人の不幸に対して一滴の同情くらいは優(ゆう)に表し得る男であるがいかんせん性来(しょうらい)余り口の製造に念が入(い)っておらんので応対に窮する。御母さんがまああなた聞いて下さいましと啜(すす)り上げてくると、何と受けていいか分らない。それを無理矢理に体裁(ていさい)を繕(つく)ろって半間(はんま)に調子を合せようとするとせっかくの慰藉(いしゃ)的好意が水泡と変化するのみならず、時には思いも寄らぬ結果を呈出して熱湯とまで沸騰(ふっとう)する事がある。これでは慰めに行ったのか怒らせに行ったのか先方でも了解に苦しむだろう。行きさえしなければ薬も盛らん代りに毒も進めぬ訳だから危険はない。訪問はいずれその内として、まず今日は見合せよう。
訪問は見合せる事にしたが、昨日(きのう)の新橋事件を思い出すと、どうも浩さんの事が気に掛ってならない。何らかの手段で親友を弔(とむら)ってやらねばならん。悼亡(とうぼう)の句などは出来る柄(がら)でない。文才があれば平生の交際をそのまま記述して雑誌にでも投書するがこの筆ではそれも駄目と。何かないかな? うむあるある寺参りだ。浩さんは松樹山(しょうじゅざん)の塹壕(ざんごう)からまだ上(あが)って来ないがその紀念の遺髪は遥(はる)かの海を渡って駒込の寂光院(じゃっこういん)に埋葬された。ここへ行って御参りをしてきようと西片町(にしかたまち)の吾家(わがや)を出る。
冬の取(と)っ付(つ)きである。小春(こはる)と云えば名前を聞いてさえ熟柿(じゅくし)のようないい心持になる。ことに今年(ことし)はいつになく暖かなので袷羽織(あわせばおり)に綿入(わたいれ)一枚の出(い)で立(た)ちさえ軽々(かろがろ)とした快い感じを添える。先の斜(なな)めに減った杖(つえ)を振り廻しながら寂光院と大師流(だいしりゅう)に古い紺青(こんじょう)で彫りつけた額を眺(なが)めて門を這入(はい)ると、精舎(しょうじゃ)は格別なもので門内は蕭条(しょうじょう)として一塵の痕(あと)も留(と)めぬほど掃除が行き届いている。これはうれしい。肌(はだ)の細かな赤土が泥濘(ぬか)りもせず干乾(ひから)びもせず、ねっとりとして日の色を含んだ景色(けしき)ほどありがたいものはない。西片町は学者町か知らないが雅(が)な家は無論の事、落ちついた土の色さえ見られないくらい近頃は住宅が多くなった。学者がそれだけ殖(ふ)えたのか、あるいは学者がそれだけ不風流なのか、まだ研究して見ないから分らないが、こうやって広々とした境内(けいだい)へ来ると、平生は学者町で満足を表していた眼にも何となく坊主の生活が羨(うらやま)しくなる。門の左右には周囲二尺ほどな赤松が泰然として控えている。大方(おおかた)百年くらい前からかくのごとく控えているのだろう。鷹揚(おうよう)なところが頼母(たのも)しい。神無月(かんなづき)の松の落葉とか昔は称(とな)えたものだそうだが葉を振(ふる)った景色(けしき)は少しも見えない。ただ蟠(わだかま)った根が奇麗な土の中から瘤(こぶ)だらけの骨を一二寸露(あら)わしているばかりだ。老僧か、小坊主か納所(なっしょ)かあるいは門番が凝性(こりしょう)で大方(おおかた)日に三度くらい掃(は)くのだろう。松を左右に見て半町ほど行くとつき当りが本堂で、その右が庫裏(くり)である。本堂の正面にも金泥(きんでい)の額(がく)が懸(かか)って、鳥の糞(ふん)か、紙を噛(か)んで叩(たた)きつけたのか点々と筆者の神聖を汚(け)がしている。八寸角の欅柱(けやきばしら)には、のたくった草書の聯(れん)が読めるなら読んで見ろと澄(すま)してかかっている。なるほど読めない。読めないところをもって見るとよほど名家の書いたものに違いない。ことによると王羲之(おうぎし)かも知れない。えらそうで読めない字を見ると余は必ず王羲之にしたくなる。王羲之にしないと古い妙な感じが起らない。本堂を右手に左へ廻ると墓場である。墓場の入口には化銀杏(ばけいちょう)がある。ただし化(ばけ)の字は余のつけたのではない。聞くところによるとこの界隈(かいわい)で寂光院のばけ銀杏と云えば誰も知らぬ者はないそうだ。しかし何が化(ば)けたって、こんなに高くはなりそうもない。三抱(みかかえ)もあろうと云う大木だ。例年なら今頃はとくに葉を振(ふる)って、から坊主になって、野分(のわき)のなかに唸(うな)っているのだが、今年(ことし)は全く破格な時候なので、高い枝がことごとく美しい葉をつけている。下から仰ぐと目に余る黄金(こがね)の雲が、穏(おだや)かな日光を浴びて、ところどころ鼈甲(べっこう)のように輝くからまぼしいくらい見事である。その雲の塊(かたま)りが風もないのにはらはらと落ちてくる。無論薄い葉の事だから落ちても音はしない、落ちる間もまたすこぶる長い。枝を離れて地に着くまでの間にあるいは日に向いあるいは日に背(そむ)いて色々な光を放つ。色々に変りはするものの急ぐ景色(けしき)もなく、至って豊かに、至ってしとやかに降って来る。だから見ていると落つるのではない。空中を揺曳(ようえい)して遊んでいるように思われる。閑静である。――すべてのものの動かぬのが一番閑静だと思うのは間違っている。動かない大面積の中に一点が動くから一点以外の静さが理解できる。しかもその一点が動くと云う感じを過重(かちょう)ならしめぬくらい、否(いな)その一点の動く事それ自(みずか)らが定寂(じょうじゃく)の姿を帯びて、しかも他の部分の静粛なありさまを反思(はんし)せしむるに足るほどに靡(なび)いたなら――その時が一番閑寂(かんじゃく)の感を与える者だ。銀杏(いちょう)の葉の一陣の風なきに散る風情(ふぜい)は正にこれである。限りもない葉が朝(あした)、夕(ゆうべ)を厭(いと)わず降ってくるのだから、木の下は、黒い地の見えぬほど扇形の小さい葉で敷きつめられている。さすがの寺僧(じそう)もここまでは手が届かぬと見えて、当座は掃除の煩(はん)を避けたものか、または堆(うずた)かき落葉を興ある者と眺(なが)めて、打ち棄てて置くのか。とにかく美しい。
しばらく化銀杏(ばけいちょう)の下に立って、上を見たり下を見たり佇(たたず)んでいたが、ようやくの事幹のもとを離れていよいよ墓地の中へ這入(はい)り込んだ。この寺は由緒(ゆいしょ)のある寺だそうでところどころに大きな蓮台(れんだい)の上に据(す)えつけられた石塔が見える。右手の方(かた)に柵(さく)を控えたのには梅花院殿(ばいかいんでん)瘠鶴大居士(せきかくだいこじ)とあるから大方(おおかた)大名か旗本の墓だろう。中には至極(しごく)簡略で尺たらずのもある。慈雲童子と楷書(かいしょ)で彫ってある。小供だから小さい訳(わけ)だ。このほか石塔も沢山ある、戒名も飽きるほど彫りつけてあるが、申し合わせたように古いのばかりである。近頃になって人間が死ななくなった訳でもあるまい、やはり従前のごとく相応の亡者(もうじゃ)は、年々御客様となって、あの剥(は)げかかった額の下を潜(くぐ)るに違ない。しかし彼らがひとたび化銀杏の下を通り越すや否(いな)や急に古(ふ)る仏(ぼとけ)となってしまう。何も銀杏のせいと云う訳でもなかろうが、大方の檀家(だんか)は寺僧の懇請で、余り広くない墓地の空所(くうしょ)を狭(せば)めずに、先祖代々の墓の中に新仏(しんぼとけ)を祭り込むからであろう。浩さんも祭り込まれた一人(ひとり)である。
浩さんの墓は古いと云う点においてこの古い卵塔婆(らんとうば)内でだいぶ幅の利(き)く方である。墓はいつ頃出来たものか確(しか)とは知らぬが、何でも浩さんの御父(おとっ)さんが這入り、御爺(おじい)さんも這入り、そのまた御爺さんも這入ったとあるからけっして新らしい墓とは申されない。古い代りには形勝(けいしょう)の地を占めている。隣り寺を境に一段高くなった土手の上に三坪ほどな平地(へいち)があって石段を二つ踏んで行(い)き当(あた)りの真中にあるのが、御爺さんも御父さんも浩さんも同居して眠っている河上家代々之墓である。極(きわ)めて分(わか)りやすい。化銀杏を通り越して一筋道を北へ二十間歩けばよい。余は馴れた所だから例のごとく例の路(みち)をたどって半分ほど来て、ふと何の気なしに眼をあげて自分の詣(まい)るべき墓の方を見た。
見ると! もう来ている。誰だか分らないが後(うし)ろ向(むき)になってしきりに合掌している様子だ。はてな。誰だろう。誰だか分りようはないが、遠くから見ても男でないだけは分る。恰好(かっこう)から云ってもたしかに女だ。女なら御母(おっか)さんか知らん。余は無頓着(むとんじゃく)の性質で女の服装などはいっこう不案内だが、御母さんは大抵黒繻子(くろじゅす)の帯をしめている。ところがこの女の帯は――後から見ると最も人の注意を惹(ひ)く、女の背中いっぱいに広がっている帯は決して黒っぽいものでもない。光彩陸離(こうさいりくり)たるやたらに奇麗(きれい)なものだ。若い女だ! と余は覚えず口の中で叫んだ。こうなると余は少々ばつがわるい。進むべきものか退(しりぞ)くべきものかちょっと留って考えて見た。女はそれとも知らないから、しゃがんだまま熱心に河上家代々の墓を礼拝している。どうも近寄りにくい。さればと云って逃げるほど悪事を働いた覚(おぼえ)はない。どうしようと迷っていると女はすっくら立ち上がった。後ろは隣りの寺の孟宗藪(もうそうやぶ)で寒いほど緑りの色が茂っている。その滴(した)たるばかり深い竹の前にすっくりと立った。背景が北側の日影で、黒い中に女の顔が浮き出したように白く映る。眼の大きな頬の緊(しま)った領(えり)の長い女である。右の手をぶらりと垂れて、指の先でハンケチの端(はじ)をつかんでいる。そのハンケチの雪のように白いのが、暗い竹の中に鮮(あざや)かに見える。顔とハンケチの清く染め抜かれたほかは、あっと思った瞬間に余の眼には何物も映らなかった。
余がこの年(とし)になるまでに見た女の数は夥(おびただ)しいものである。往来の中、電車の上、公園の内、音楽会、劇場、縁日、随分見たと云って宜(よろ)しい。しかしこの時ほど驚ろいた事はない。この時ほど美しいと思った事はない。余は浩さんの事も忘れ、墓詣(はかまい)りに来た事も忘れ、きまりが悪(わ)るいと云う事さえ忘れて白い顔と白いハンケチばかり眺(なが)めていた。今までは人が後ろにいようとは夢にも知らなかった女も、帰ろうとして歩き出す途端に、茫然(ぼうぜん)として佇(たた)ずんでいる余の姿が眼に入(い)ったものと見えて、石段の上にちょっと立ち留まった。下から眺めた余の眼と上から見下(みおろ)す女の視線が五間を隔(へだ)てて互に行き当った時、女はすぐ下を向いた。すると飽(あ)くまで白い頬に裏から朱を溶(と)いて流したような濃い色がむらむらと煮染(にじ)み出した。見るうちにそれが顔一面に広がって耳の付根まで真赤に見えた。これは気の毒な事をした。化銀杏(ばけいちょう)の方へ逆戻りをしよう。いやそうすればかえって忍び足に後(あと)でもつけて来たように思われる。と云って茫然と見とれていてはなお失礼だ。死地に活を求むと云う兵法もあると云う話しだからこれは勢よく前進するにしくはない。墓場へ墓詣りをしに来たのだから別に不思議はあるまい。ただ躊躇(ちゅうちょ)するから怪しまれるのだ。と決心して例のステッキを取り直して、つかつかと女の方にあるき出した。すると女も俯向(うつむ)いたまま歩を移して石段の下で逃げるように余の袖(そで)の傍(そば)を擦(す)りぬける。ヘリオトロープらしい香(かお)りがぷんとする。香が高いので、小春日に照りつけられた袷羽織(あわせばおり)の背中(せなか)からしみ込んだような気がした。女が通り過ぎたあとは、やっと安心して何だか我に帰った風に落ちついたので、元来何者だろうとまた振り向いて見る。すると運悪くまた眼と眼が行き合った。こんどは余は石段の上に立ってステッキを突いている。女は化銀杏(ばけいちょう)の下で、行きかけた体(たい)を斜(なな)めに捩(ねじ)ってこっちを見上げている。銀杏は風なきになおひらひらと女の髪の上、袖(そで)の上、帯の上へ舞いさがる。時刻は一時か一時半頃である。ちょうど去年の冬浩さんが大風の中を旗を持って散兵壕から飛び出した時である。空は研(と)ぎ上げた剣(つるぎ)を懸(か)けつらねたごとく澄んでいる。秋の空の冬に変る間際(まぎわ)ほど高く見える事はない。羅(うすもの)に似た雲の、微(かす)かに飛ぶ影も眸(ひとみ)の裡(うち)には落ちぬ。羽根があって飛び登ればどこまでも飛び登れるに相違ない。しかしどこまで昇っても昇り尽せはしまいと思われるのがこの空である。無限と云う感じはこんな空を望んだ時に最もよく起る。この無限に遠く、無限に遐(はる)かに、無限に静かな空を会釈(えしゃく)もなく裂いて、化銀杏が黄金(こがね)の雲を凝(こ)らしている。その隣には寂光院の屋根瓦(やねがわら)が同じくこの蒼穹(そうきゅう)の一部を横に劃(かく)して、何十万枚重なったものか黒々と鱗(うろこ)のごとく、暖かき日影を射返している。――古き空、古き銀杏、古き伽藍(がらん)と古き墳墓が寂寞(じゃくまく)として存在する間に、美くしい若い女が立っている。非常な対照である。竹藪を後(うし)ろに背負(しょ)って立った時はただ顔の白いのとハンケチの白いのばかり目に着いたが、今度はすらりと着こなした衣(きぬ)の色と、その衣を真中から輪に截(き)った帯の色がいちじるしく目立つ。縞柄(しまがら)だの品物などは余のような無風流漢には残念ながら記述出来んが、色合だけはたしかに華(はな)やかな者だ。こんな物寂(ものさ)びた境内(けいだい)に一分たりともいるべき性質のものでない。いるとすればどこからか戸迷(とまどい)をして紛(まぎ)れ込んで来たに相違ない。三越陳列場の断片を切り抜いて落柿舎(らくししゃ)の物干竿(ものほしざお)へかけたようなものだ。対照の極とはこれであろう。――女は化銀杏の下から斜めに振り返って余が詣(まい)る墓のありかを確かめて行きたいと云う風に見えたが、生憎(あいにく)余の方でも女に不審があるので石段の上から眺(なが)め返したから、思い切って本堂の方へ曲った。銀杏はひらひらと降って、黒い地を隠す。
余は女の後姿を見送って不思議な対照だと考えた。昔(むか)し住吉の祠(やしろ)で芸者を見た事がある。その時は時雨(しぐれ)の中に立ち尽す島田姿が常よりは妍(あで)やかに余が瞳(ひとみ)を照らした。箱根の大地獄で二八余(にはちあま)りの西洋人に遇(あ)った事がある。その折は十丈も煮え騰(あが)る湯煙りの凄(すさま)じき光景が、しばらくは和(やわ)らいで安慰の念を余が頭に与えた。すべての対照は大抵この二つの結果よりほかには何も生ぜぬ者である。在来の鋭どき感じを削(けず)って鈍くするか、または新たに視界に現わるる物象を平時よりは明瞭(めいりょう)に脳裏(のうり)に印し去るか、これが普通吾人の予期する対照である。ところが今睹(み)た対象は毫(ごう)もそんな感じを引き起さなかった。相除(そうじょ)の対照でもなければ相乗(そうじょう)の対照でもない。古い、淋(さび)しい、消極的な心の状態が減じた景色(けしき)はさらにない、と云ってこの美くしい綺羅(きら)を飾った女の容姿が、音楽会や、園遊会で逢(あ)うよりは一(ひ)と際(きわ)目立って見えたと云う訳でもない。余が寂光院(じゃっこういん)の門を潜(くぐ)って得た情緒(じょうしょ)は、浮世を歩む年齢が逆行して父母未生(ふもみしょう)以前に溯(さかのぼ)ったと思うくらい、古い、物寂(ものさ)びた、憐れの多い、捕えるほど確(しか)とした痕迹(こんせき)もなきまで、淡く消極的な情緒である。この情緒は藪(やぶ)を後(うし)ろにすっくりと立った女の上に、余の眼が注(そそ)がれた時に毫(ごう)も矛盾の感を与えなかったのみならず、落葉の中に振り返る姿を眺めた瞬間において、かえって一層の深きを加えた。古伽藍(ふるがらん)と剥(は)げた額、化銀杏(ばけいちょう)と動かぬ松、錯落(さくらく)と列(なら)ぶ石塔――死したる人の名を彫(きざ)む死したる石塔と、花のような佳人とが融和して一団の気と流れて円熟無礙(むげ)の一種の感動を余の神経に伝えたのである。
こんな無理を聞かせられる読者は定めて承知すまい。これは文士の嘘言(きょげん)だと笑う者さえあろう。しかし事実はうそでも事実である。文士だろうが不文士だろうが書いた事は書いた通り懸価(かけね)のないところをかいたのである。もし文士がわるければ断(ことわ)って置く。余は文士ではない、西片町(にしかたまち)に住む学者だ。もし疑うならこの問題をとって学者的に説明してやろう。読者は沙翁(さおう)の悲劇マクベスを知っているだろう。マクベス夫婦が共謀して主君のダンカンを寝室の中で殺す。殺してしまうや否(いな)や門の戸を続け様(ざま)に敲(たた)くものがある。すると門番が敲くは敲くはと云いながら出て来て酔漢の管(くだ)を捲(ま)くようなたわいもない事を呂律(ろれつ)の廻らぬ調子で述べ立てる。これが対照だ。対照も対照も一通りの対照ではない。人殺しの傍(わき)で都々逸(どどいつ)を歌うくらいの対照だ。ところが妙な事はこの滑稽(こっけい)を挿(はさ)んだために今までの凄愴(せいそう)たる光景が多少和(やわ)らげられて、ここに至って一段とくつろぎがついた感じもなければ、また滑稽が事件の排列の具合から平生より一倍のおかしみを与えると云う訳でもない。それでは何らの功果(こうか)もないかと云うと大変ある。劇全体を通じての物凄(ものすご)さ、怖(おそろ)しさはこの一段の諧謔(かいぎゃく)のために白熱度に引き上げらるるのである。なお拡大して云えばこの場合においては諧謔その物が畏怖(いふ)である。恐懼(きょうく)である、悚然(しょうぜん)として粟(あわ)を肌(はだえ)に吹く要素になる。その訳を云えば先(ま)ずこうだ。
吾人が事物に対する観察点が従来の経験で支配せらるるのは言(げん)を待たずして明瞭な事実である。経験の勢力は度数と、単独な場合に受けた感動の量に因(よ)って高下増減するのも争われぬ事実であろう。絹布団(きぬぶとん)に生れ落ちて御意(ぎょい)だ仰せだと持ち上げられる経験がたび重(かさ)なると人間は余に頭を下げるために生れたのじゃなと御意(ぎょい)遊ばすようになる。金で酒を買い、金で妾(めかけ)を買い、金で邸宅、朋友(ほうゆう)、従五位(じゅごい)まで買った連中(れんじゅう)は金さえあれば何でも出来るさと金庫を横目に睨(にら)んで高(たか)を括(くく)った鼻先を虚空(こくう)遥(はる)かに反(そ)り返(か)えす。一度の経験でも御多分(ごたぶん)には洩(も)れん。箔屋町(はくやちょう)の大火事に身代(しんだい)を潰(つぶ)した旦那は板橋の一つ半でも蒼(あお)くなるかも知れない。濃尾(のうび)の震災に瓦(かわら)の中から掘り出された生(い)き仏(ぼとけ)はドンが鳴っても念仏を唱(とな)えるだろう。正直な者が生涯(しょうがい)に一返(ぺん)万引を働いても疑(うたがい)を掛ける知人もないし、冗談(じょうだん)を商売にする男が十年に半日真面目(まじめ)な事件を担(かつ)ぎ込んでも誰も相手にするものはない。つまるところ吾々の観察点と云うものは従来の惰性で解決せられるのである。吾々の生活は千差万別であるから、吾々の惰性も商売により職業により、年齢により、気質により、両性によりて各(おのおの)異なるであろう。がその通り。劇を見るときにも小説を読むときにも全篇を通じた調子があって、この調子が読者、観客の心に反応するとやはり一種の惰性になる。もしこの惰性を構成する分子が猛烈であればあるほど、惰性その物も牢(ろう)として動かすべからず抜くべからざる傾向を生ずるにきまっている。マクベスは妖婆(ようば)、毒婦、兇漢(きょうかん)の行為動作を刻意(こくい)に描写した悲劇である。読んで冒頭より門番の滑稽(こっけい)に至って冥々(めいめい)の際読者の心に生ずる唯一の惰性は怖[#「怖」に傍点]と云う一字に帰着してしまう。過去がすでに怖(ふ)である、未来もまた怖なるべしとの予期は、自然と己(おの)れを放射して次に出現すべきいかなる出来事をもこの怖[#「怖」に傍点]に関連して解釈しようと試みるのは当然の事と云わねばならぬ。船に酔ったものが陸(おか)に上(あが)った後(あと)までも大地を動くものと思い、臆病に生れついた雀(すずめ)が案山子(かがし)を例の爺(じい)さんかと疑うごとく、マクベスを読む者もまた怖[#「怖」に傍点]の一字をどこまでも引張って、怖[#「怖」に傍点]を冠すべからざる辺(へん)にまで持って行こうと力(つと)むるは怪しむに足らぬ。何事をも怖[#「怖」に傍点]化(か)せんとあせる矢先に現わるる門番の狂言は、普通の狂言諧謔(かいぎゃく)とは受け取れまい
责编:李亚林
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