- 讲师:刘萍萍 / 谢楠
- 课时:160h
- 价格 4580 元
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之からこの子爵が、犯人としてどの位頭がいいかを説明しましょう。先に云った理由によって子爵が行おうとする殺人のモーティヴは決して暴露する危険はない。その点に就いて心配する必要は毫もない筈です。子爵はつまらない小細工は一切しないことにする。わざと白昼、頗(すこぶ)る自然らしく殺人を行おうというのです。ただ誰からも見て居られないということが絶対に必要です。然り、ただその一点だけが此の殺人事件に於いて必要だったのだから恐ろしいじゃありませんか。而も某紳士が海岸で用いた手も誰からも見られぬという点だけが大切だったのです。之に対する復讐としては蓋(けだ)し甚だ適切だったと云うべきでありましょう。
子爵の用いた武器、即ちこの場合兇器は? 之こそ子爵の頭のよさを示すものです。彼は自分の乗っている自動車を相手にぶっつけようというのです。白昼、日比谷公園の中で、あの時に而も人の恐れる検事局の前で、パッカードで人を殺す! 何というモダーンな、而も頭のよい犯罪でしょう。
現今われわれ法律家から云えば自動車位殺人の兇器にたやすく[#「たやすく」に傍点]利用され得るものは他にないのです。たやすくとは安全に[#「安全に」に傍点]の意味ですよ。今云ったもとの同僚の探偵小説作家などは役人だった時分からこれを主張して居ました。「探偵小説作家が殺人方法として自動車を兇器に用いるのが一番現代に適切だろう。犯人にとって法律的にこの位安心なものはないのだから。それ程、現今の交通状態と法律とはかけはなれている。僕だってそれを書かせれば書くんだがほんとうにまねをする奴が出るといけないからまだ書かないんだ」とは最近彼が、私に洩した感想です。
子爵の考えも正にそこだったのです。これは子爵が相当な法律家だということを表わしています。自動車の事件は誰も見ていない限り、相手を殺してしまえば、特殊の場合でない限り、丁度あなたの時同様、検事は被疑者の供述以外に手がかりがないのですから、めったに起訴されないことになるのです。而も最悪の場合を考えて見ましょうか。誰か現場を見ていたとする。この場合故意に相手を殺したと思う人があるでしょうか。誰しも狼狽の極と思うでしょう。ことに殺人の動機が外に表われていない時においては、何人(なんびと)か之を人殺しと云い得るでしょう。即ち最悪の場合でも殺人事件にはなりませぬ。十人の証人が居て悉(ことごと)く子爵に不利益な証言をした所で事件は業務上過失致死罪の罰、即ち三年以下の禁錮又は千円以下の罰金ですむ筈です。伯爵、あなたは子爵某が過って人を轢殺して三年の体刑になると思いますか、今までの判例を見れは直ぐ判ることです。之は半年の間狙いに狙った刹那がそういう最悪の瞬間と仮定してもの話ですよ。而もこの不幸のプロバビリティーは子爵の計算に従えば頗る小さいものだったに違いありません。即ち子爵は、犯行の日、日比谷門から霞門に向いてドライヴする。相手がいつもの通り右側の舗道(即ち子爵から云えば左)を歩いて来るのが見えた。神経衰弱にかかった紳士があそこを西から東へ行く時は右の舗道を歩くのが最も安定だと考えるにきまっています。何故ならばあそこの舗道は甚だ狭く左側を通れば後から来る多くの自動車におびやかされるからです。子爵は素早くあたりを見まわす、といってもまず右側だけです。前面はカーヴしているからこっちだけ見ていればよい。左側は鉄柵で仕切られた植込みだからめったにこっちから人が来る筈はない。そのうち子爵と某紳士の距離はますます迫る。この辺でよしという所で、子爵はまッしぐらに相手の身体めがけて――即ち今までの進路から一寸左にハンドルを切って突進する。今まで通りに歩いていれば安心だと思っていた相手は驚いて逃げようとするひまがない。無論右に避けたいが鉄柵ですぐにはとび越えられぬ。仕方がないから左即ち車道に出ようとする。とたんに車体が相手を引き倒すという次第なのです。この場合相手が車道へ少しでもとび出して来ることが必要なのです。何故なら歩道へのりかけてそこで引き倒しては明かに過失ですから。自殺した場所さえ車道なら、はじめ少し車がカーヴして来てもその跡なんか、すぐ踏んでも消せますからね。現にあなたの場合などは全然車のあとは踏み消されて居たそうです。無論あなたがしたとは云いません、群集がです。しかしその群集を犯人が呼ぶことは出来た筈です。少くとも彼が唖でない限りはね。事実あの時調べられた人々は一斉に「声をきいてかけつけて見ますと」と云っていますよ。つまり犯人子爵は相手が死んだのを見定めてから先ず弥次馬を呼ぶ、そして自分は直ぐ目の前の検事局に恐れながらととび込んで来るのです。過失はともかく、どうして故意を疑いましょう。誰が殺人事件だと思いましょう。驚嘆すべき腕まえです。
然し之は皆例の小説家の空想ですよ。アハハハ、一寸面白いでしょう。おや? どうかなさいましたか」
この時、今まで青い顔をしてきいていた伯爵細山宏はふらふらと立ち上ったがドアにようやく手をかけながら、「嘘だ嘘だ、人殺しなどと。――けしからん、あいつ……自殺だ、自殺だ!」とあえいだ。
「お帰りになるならもうお帰りになってよろしい」
うす気味悪い笑をたたえてドアを助けて開けてくれた大谷検事を後に、よろめくように伯爵は廊下に出た。
三
それから一週間たってからのある夜、伯爵は日記の中に次のような感想を認(したた)めていた。
「驚くべきは大谷検事の推理だ。若くは想像だ。全く俺の考えた通りの事を云っている。而も自信に満ちたあの態度! 全く俺はあの通りの計画をしてあの日あの場所まで行ったに違いない。しかし、自然のする皮肉を、われ等の頭の力で見通せると思うか、俺も誤って居た。しかし検事も俺同様の誤算をしていたのだ。
俺が中条の身体めがけて車をぶつけようとした刹那だった。不意に中条の方がよろよろとして俺の車の方向にとび出して来たのだ。現在殺そうとしている相手だが、しかしこの刹那俺は全く狼狽した。俺は殆ど直覚的に避けようとしてハンドルを切った。けれども間に合わなかったんだ。中条の奴、良心の苛責に堪えかねたか、俺の車にとび込みやがったんだ。
今となっては、誰も人の居なかったことが残念だ、俺は人殺しを計画した。だから検事にそう思われても仕方がないかも知れない。しかし今一歩という所でやりそこなった。相手に先んじられてしまったんだ。誰でも一人見ていてくれたら、彼のよろめき入ったことを立証してくれただろうに。
昨日中条未亡人を訪問した。俺が中条を殺したと疑っているのは検事とこの女だ。あの女は、昨日はほとんど物を云わなかった。
ああ、俺は大谷検事と中条未亡人が生きている限り、人殺しをしたと確信されている。俺は自分の計画が完全だと信じていた。余りに完全すぎたと信じていた。しかし、大自然が行う皮肉を無視していた俺は愚かだった、永遠に俺は呪われている」
伯爵がここまで書き記した時、ドアをノックする音がきこえた。伯爵の声に応じて小間使が丁寧に一通の封書を机の上において去った。差出人は中条綾子。書留郵便で投函日附は昨日である。
いそいで封を押し切った伯爵の目には次のような美しい文字がはっきりとうつったのである。
伯爵様、先刻は失礼いたしました。折角お訪ねくださいましたのに、私実はあの時、大変考え事を致して居りましたの。それで申訳ない失礼いたしてしまいました。お許し下さいまし。あの時私はある物を伯爵様にお目にかけようかどうかとまよっていたのでございます。けれどとうとう決心してしまいました。何事も申し上げませぬ。ただ同封の文をおよみ下さいまし。そうして永遠に御身近くにおもち下さいまし。
伯爵様、あなたの御力は偉大でございました。けれど、われわれの頭がどんなによくても神様のなさることを考える事は出来ません。神様のいたずらは、人間には判らないものでございます。
綾 子
「神のいたずら?……自然の皮肉?」
つぶやきながら伯爵はまき込められた一片の紙に目を通した。
そのはじめに女文字で「之は夫直一の日記の断片でございます。夫の死後、私が発見して今まで誰にも見せずにおいたものでございます。綾子」と記されている。
×月×日妻はどうしても疑っている。否疑っているのではない。俺が吉田豊を殺したと確信しているのだ。俺の手が血みどろに見えるのか、俺の顔がそんなに恐ろしいのか。俺がこのごろ夜中眠れないで役所も休んでしまったのを、良心の責苦だと思っているらしい。馬鹿! 俺がいつあいつを殺したんだ。俺は人殺しじゃない。あいつはほんとに過(あやま)って死んだんだ。
俺が豊を殺そうとしたのはほんとだ。恐ろしいことだが俺はこの手で彼を崖からつきおとしかかったんだ。それは間違いはない。しかし、しかし、俺はあの時つきおとしはしなかったんだ。
もう少しで彼にふれようとする途端に、豊が不意に悲鳴をあげたんだ。俺は却って驚いた。どうしたんだ? と、きこうとする刹那、あの足場の悪い所だ。あっという間に足をすべらせて彼は下の岩に向って落ちこんだのだった。
俺はしばらく茫然としたが、直ぐにその原因は判った。綾子は前から知っているだろうが豊は、今になっても蜘蛛に対して極度の恐怖心をもっている。自分から見ると殆ど理由のない恐怖だが、あの刹那あの崖の上に立っている松の木からたれ下(お)ちていたのだろう。丁度彼の顔にあたる所に五寸に余る大蜘蛛が彼が落ちてからなおブラブラしているのを自分は見た。
豊が口ぶえをふいてのんきに歩いている所へ、不意にこの大蜘蛛が顔にあたったのだ。
蜘蛛だ! と認めた刹那、彼は恐怖の余りとび上ったのだ。その途端に足をすべらせてしまったにちがいない。
ああ思えばあの時、あの蜘蛛をそのまま、おいておけばよかった。自分も気味のわるい余りに叩き殺して海に捨ててしまった。自分は何という愚か者だ。もしあの時、誰でも一人人間があのありさまを見ていてくれたなら、俺の人殺しの疑いをはらしてくれるだろうに。又もしいっそ俺が訴えられれば弁解の辞は十分にあるのだ。しかし、妻は俺を人殺しと確信しているくせに、一回も俺に訊ねない限り何を云ってもむだなのである。俺はもはや綾子の沈黙の復讐に対しては沈黙の争いをつづけなければならないのだ。
しかし、俺はこのごろ凡ての人々に人殺しと呼ばれているような気がする。俺は人殺しを計画した。しかし実行はしなかったんだ。ああこの苦しみをいつになったら晴らす事が出来よう。
妻以外では、豊の兄の細山伯がたしかに疑っている。ああ毎朝、俺と顔を合わせる意味がわからない。俺は不愉快だけれど、俺が、あの道を通らなくなればなお伯は俺を疑うだろう。おお伯よ、いっそ俺を裁判所へ訴えてくれ!
(この間、日記の日附が三ケ月程あいている)
×月×日俺はたまらない、こうやって無実の罪を凡ての人々からきせられて見られているのは。綾子は断然俺を人殺しと見て居る。一言もそれにふれない限り、俺も一言もいうまい。伯爵も毎日あうが何の為にわざわざあの時分通るのだろう。そうして訴えるようすもない。彼は俺を殺すつもりなのだろうか。
それ程疑うならいつでも殺されてやる。しかし、汝の復讐は神の目から見れば真正の復讐ではないのだ。
(この間数日のへだたり)
×月×日昨日は危く自動車にぶつかる所だった。
医者は毎日歩けという。併し少しだってよくなる筈はない。
俺は丁度盲人が杖なしで歩くように往来を歩いている。ひょっとすると医者も俺を人殺しだと思って居るのじゃないか。綾子が医者にしゃべって居るのかも知れない。そうして俺を出来るだけ危険にさらすようにして居るのじゃないか。
俺は人殺しじゃない。人殺しを考えたことはある。けれどやったおぼえはない。
(次は死の前日の手記)
×月×日
こんなへんな気もちで生きている気はない。豊だって俺があそこにつれ出さなければ、死ななかったんだ。そう思えば俺は死んでやってもいい。しかし細山には殺されたくない。よし俺は奴のような自動車にのって来る人を利用しよう。あしたはあいつの来る頃、日比谷で他人の自動車にとびこんで死んでやる。細山が丁度通る頃、わざと他の車にとび込んでやる。どんな車でもいい、細山以外の自動車にとび込んでやろう。あそこまで用心してあるいて行かなければならない。
最後に、綾子に云う。人知を以て神の業をはかる勿れ。
読み終った伯爵は、この時ハッと今まで少しも気にしなかった事を思い浮べた。
「そうだ。あの日はじめて、それまでの箱型のクライスラーをやめて、買いたてのパッカードを動かしたのだった」
再び中条の日記を見ていた伯爵の目には涙があふれた。それが頬を伝って来た頃、彼は机の上に面を伏せて、長い長い間動かなかった。
(〈文藝春秋〉昭和五年七月号発表)
责编:李亚林
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