- 讲师:刘萍萍 / 谢楠
- 课时:160h
- 价格 4580 元
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プレハブ住宅やインスタント食品が開発されたのもこの時です。そして、十一人が南極で越冬、その後、越冬隊が置き去りにした樺太犬謙太郎、次郎は、たくましく生き延びて、二年後日本へかえり、国民を驚かせました。昭和32年8月、東海村の実験原子炉では最初の火が点りました。それはやがて各地に作られる原子力発電所の先駆けとなったのです。
自然のエネルギーは強大です。昭和34年9月26日、東海地方を襲った伊勢湾台風は、各地に猛威を振るいました。防ちょう堤が寸断され、海岸の埋立て地は泥海となりました。死者は5000人も越え、被害家屋は57万戸に及びました。
風俗は時代のエネルギーの反映です。高度成長時代、若者たちは性の価値観への反撥を表現しました。
太陽族の登場です。石原慎太郎、次郎兄弟がそのスターでした。農村から都会への集団就職、地方から働きに出た少年少女は金の卵と持てはやされ、高度成長を支える労働力となっていきます。
神武景気と言われた高度成長期を家庭の主婦達はどのように生きていたのでしょう。東京世田谷にお住まいの河内さん一家の家計簿を拝見しました。
一万円札の登場。昭徳太子も昔は百円でした。昭和33年、東京タワーの出現、電波がマスコミの主流となる前触れです。神武景気から岩戸景気へと高度経済成長を続けてきた昭和30年代前半の日本の姿です。このごろの家庭の電化は洗濯機二軒に一台、電気炊飯器三軒に一台、冷蔵庫は七軒に一台。人々は消費革命を欧化するようになりました。
美智子ブーム。ご成婚の馬車パレード、開かれた皇室の始まりでした。
レジャーブーム。人々は海へ山へと繰り出します。井上靖の小説がベストセラーとなり。谷川だけの登山道はラッシュ宛らの混雑ぶりです。
シャボン玉のように消え去ったはかないブームでした。
手頃な乗り物としてオートバイが普及し、雷族も登場しました。
ミス??ユニバースに選ばれた児島明子さん、日本の女性は強くなり、美しくもなったのです。インスタント時代、インスタントラーメン、インスタントコーヒー.慌ただしい暮しの中で、インスタントという言葉が流行しました。町角にスーパーマーケットが目立ちはじめ、大量消費時代の到来を告げました。
60年安保、各地で日米安保反対の運動が繰り広げられました。女子学生恵子の死は、ますます運動をエスカレートさせました。昭和35年10月、三党首立会演説会。浅野正にたんとうごと体当たりしたのは元大日本愛国党員だった18歳の少年山口おとやでした。
戦後日本の機関産業であった炭鉱はエネルギー革命によって次々に閉山されました。三井、三池では、総資本対総労働の決戦と言われる大争議が起りました。
所得倍増計画は庶民に明るい期待を持たせます。
自動車時代といわれる中で、鉄道の新しい活路を見出した新幹線。
昭和39年10月10日、東京オリンピック開幕。より早く、より高く、より強く、東京オリンピックは前進する日本の姿を世界にアピールしました。
連続して起った航空機事故。全日空、カナダ航空、イギリスのBOAC.航空機は庶民にとっても身近な乗物になり始めたごろの連続事故であったため、空の安全について、人々の関心が高まりました。
日々これ決戦、受験戦争の若き選手達.友達は敵であり、勝ち抜く武器は偏差値です。埼玉県秩父の山のホテルを借り切って開かれた学習塾の夏の合宿特訓。六時に起床、まず朝食を前に二時間の授業です。五泊六日で合わせて六十時間の集中授業.費用はおよそ五万円です。
昭和四十年代に入って、全国各地の大学で所謂学園紛争が起りました。東大、やすだとりでの攻防といわれました。フォークゲリラ、投石、野球打ち、現状に反撥し、体制の解体を叫ぶ様々な行動がありました。昭和43年12月10か、東京で起きた三億円強奪事件は好景気に湧く師走の町に衝撃を与えました。白バイ、発煙筒等など芝居気たっぷりの完全犯罪でした。
ベトナム戦争、850万人もの死傷者を出すという人的損害と莫大な戦費を消耗した戦いでした。
空母エンタープライズの入港に激しい反対運動が起れました。ベトナム戦争の激化に伴い、米軍の艦船や航空軍機が日本国内の米軍基地を使用する事が増え、各地に反対の行動が広がりました。
1969年、昭和44年7月、アメリカが一身を賭けたアポロ11号の打ち上げ、その月面着陸を世界の人々は見守りました。
昭和43年、日本のGNPは世界第二位、日本はエコノミック??アニマルと呼ばれました。高度成長の歪みで大気汚染は進み、川や海は汚されました。車は渋滞し、排気ガスが人間を蝕みます。水俣病、世界の公害の代名詞となった水俣。
超高層時代、ビルは限られた土地の中で上へ上へと伸びました。岩戸景気、いざなぎ景気。それは一方では乱開発、一極集中、過密への道程でもありました。昭和45年、新日鉄が誕生、その年、日本は鉄鋼生産で世界一となりました。過密の陰で過疎が進みました。父ちゃん出稼ぎ、兄ちゃん工場、畑には爺ちゃん、婆ちゃん、母ちゃんばかり。三ちゃん農業と呼ばれた時代です。学校も消え、村も寂れます。
1970年の今日は、人類の進歩と調和をテーマに大阪で万国博が開かれました。六千万人が殺到、アメリカ館の最大の呼び物は小さな月の石でした。それは宇宙から地球を見直し、人類の未来を考えるきっかけになったのでしょうか。
昭和元禄。金持日本はどっと海外へ、時恰もお米は史上最高、農協さんは世界の観光地を席捲しました。
東京市ヶ谷の陸上自衛隊方面総幹部に乱入、憂国の志を訴えた作家三島由紀夫。昭和45年11月25日に起った衝撃な事件でした。新宿はいつでも時代の顔を映します。高度成長の管理社会から逃げようとした若者達.シンナー、理性の麻痺と神経の錯乱、刹那的な逃避。
人格を崩壊させるシンナーにスクリーンがあるはずはありません。戦時中に接収されたダイヤを日銀が放出。その放出ダイヤに目の色を変える主婦達.日々心神をすり減らす企業選手達.土地高く、家遠く、仕事はきつし。ぱぱよ、あなたは強かった。企業選手の休日、地方競馬から勝ち進んだはいすいこうは宛らエリートコースを外れた庶民のヒーローでした。
昭和47年5月、沖縄の本土復帰がようやく実現.ドルから円へ、21年ぶりに沖縄県民の悲願が叶いました。
車に押されていた歩行者のささやかな復権--歩行者天国。都市の主役が人間であることを示す一時の安全地帯です。三種の神器もカラーテレビ、クーラー、カーの三C時代。
この頃の家計簿は景気の上昇でようやく明るくなってきました。東京調布市に住む中沢さんの家庭でも暮しにゆとりは生まれてきたようです。
当時、列島改造論を引き下げて登場したのが田中角栄総理大臣。コンピューター付きブルドーザーと言われた田中さん得意の経済理論です。世はまさに使い捨て時代。ドルショックに続いて石油ショック。石油ショックは原料やエネルギーすべてを海外に依存している日本のウィークポイントを直撃しました。恥じも何もなかったトイレットペーパーサービス。経済大国ではなく、資源小国の現実です。ガソリンが上がる、土地が上がり、吊られて、何でも上がる狂乱物価。家計を守る主婦の悲鳴が聞こえてきました。
ニクソンの努力に決定された中国との国交回復。昭和47年9月29日、日中共同声明の調印です。得意満々の田中総理。中国との戦争状態は終わりました。しかし、この兵士の戦争は終わっていませんでした。恥ずかしいながらと中国から帰ってきた横井庄一さん。31年振りの帰国でした。
かるいざな浅間山荘に、人質を取って立てこもった連合赤軍。警察官との銃撃戦は連続十時間のテレビ中継でお茶の間に伝えられました。連合赤軍の兵士達.彼らは仲間を総轄すると言って殺害していました。
成田参賀の砦に立てこもった反対派農民と学生達.第一次強制で出港から23年たった今年、政府は土地収用のプロセスに問題があったとして拡張計画の白紙撤回をしています。スタートで躓いた成田空港は今も滑走路一本だけのままです。
トライスター選定のため、ロッキード、丸紅ルートから賄賂を受けたとして、昭和51年7月、田中角栄前総理が逮捕され、総理の犯罪と騒がれました。
この頃、流行の主役は若者達、雨後の竹の子。原宿山地。友達はいても会話はなく、インベーダーが相手。お宅は人間との付き合いを知らん新人類。こちらではインスタントな刺激を売ります。風俗営業もどこまでエスカレートして行くことや。
一等賞金一千万円の宝くじに殺到して、死者が出る騒ぎもありました。日本は豊かになったとは言え、住宅は相変わらず高値の花。稼ぎを追い越す土地の値上がり、ウサギ小屋と呼ばれるマイホーム。コミックブーム、マンガが子供の読み物だったのは昔のこと、今では大学生やサラリーマンの愛読書です。ベルサイユの薔薇ブルボン王朝の黄昏に激しく燃えた恋の花。宝塚の夢とロマンのクライマックスです。
「俺より先に寝てはいけない、俺より後に起きてもいけない、飯はうまく作れ、いつもきれいでいろう。出来る範囲で構わないから、忘れてくれるな。仕事も出来ない男に、家庭を守れる、恥じなどをないってことを。」
ホテル、ニュージパンの火事、死者33人。安全設備を無視した経営者の管理責任が問われました。架空の金塊で老人達を騙したあくどいペーパー商法。その元凶豊田商事の会長は報道人の目の前で殺されました。むりこ森永事件の犯人、防犯カメラはそれを見ていました。空前の捜査体制を取りながら、未だに未解決です。
昭和60年8月12日、日航ジャンボ機がおすたか山に激突、死者520人の大惨事でした。四人が奇跡的に助かりました。墜落の直前まで、家族への思いを書き続けた遺書は胸を打ちました。
昭和60年代に入り、首都圏の地価が高騰、一年で50%から100%もの上昇を見せました。こうした動きは全国に波及し、各地で乱開発や地あげ、土地転がしが行われました。金融機関が土地や住宅建設など不動産投資に狂奔、いわゆるバブル経済の始まりです。
株は天井知らずの上昇.金箔うどん、金箔寿司、ゴッホの向日葵をはじめ、世界の名画を買い漁ったのは金満日本です。
イランでは、日本行きは夢のビッグチャンス。抽選に当たれば金持ちになれると宝くじ並のピーバです。
彼らの休日は代々木公園.働き口を探す情報交換の場になりました。きつい、汚い、危険。今や三けい職場に外国労働者が目立つようになりました。
昭和63年、本州と四国を結ぶ瀬戸大橋開通、同じ年、青(森)函(館)トンネルも開通。これで、北海道、本州、四国、九州が地続きになりました。
日米貿易摩擦は深刻化して来ました。アメリカの対日姿勢は強まるばかり、東芝のココム違反に絡めて、罪のないラジカセにまでやつあたりです。米の市場を迫るアメリカに対し。食糧安保で対抗する米作り農家。
校内暴力、いじめ、そして家庭内暴力。独特の扱きで子供達をたたき直すと言うヨットスクール。学校にも、家庭にも、社会にも模範解答はありません。
辛抱と忍耐の阿信。日本で失われた美徳が外国で評価されました。
耐えがたきを耐えた戦後の生涯、それは和平と繁栄のうちに幕を閉じたんです。
1989年ベルリンの壁は崩れました。東西冷戦構造の一方を占めたソビエトの社会主義体制が終わりました。中国ではまだ試練の中にあります。
1991年湾岸戦争。テレビで中継されたハイテク戦争でした。経済大国であった日本は国際社会への貢献として、多国籍軍の費用の一部を負担しました。世界の各地で、民族紛争は尽きません。中東、ボスニア??ヘルセゴビナ、アフリカ。さまよう、難民達.
PKO国連平和維持活動。平成4年にカンボジア、5年モザンビーク、6年ルワンダと三度にわたり自衛隊などを派遣しました。
消費税。擦った揉んだでスタートして、やたらに一円玉が増えました。リクルート事件。現金ではなく、値上がり確実の株を送る新手の贈収賄事件でした。黒い飛脚便は中央政界や地方に政治献金をばらまきました。
バブル崩壊、株は急落、地価は下がり。不良債権が急増、平成不況の始まりです。売りに売れない株券が質屋で眠っています。
皇太子のご成婚。二代続いた民間からの皇太子妃の誕生です。
日本が火山列島であることを改めて思い出させた雲山普賢岳の大火砕流。村は火砕流に埋もれても、人々はこの土地を去るわけにはいきません。地震と津波に打ちのめされた奥尻島.
終戦直後の米不足と飢餓を思い出させた冷害と凶作。タイ米、カルフォルニア米の輸入を実現して、ウルグライラウンドもクリヤーしました。一ドル360円から這いあがった円の力。戦後50年、今や日本とアメリカはフェアな市場で競争者として向かい合わなければなりません。
新の国際社会へ離陸するために、日本は新しい方向を見出そうとしています
责编:李亚林
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