- 讲师:刘萍萍 / 谢楠
- 课时:160h
- 价格 4580 元
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私のことなんも知らない人なら信じてくれると思うが、私は掃除が大好きだ。掃除のあとのすがすがしさは、他の何物にも代えがたいと思う。
私が何よりも好きなのは、外から帰ってきて、乱雑で汚かった部屋が、誰かの手によってきれいに片付けられていることを発見することだ。残念ながら、そういう嬉しい発見をしたことがない。
掃除のすばらしさを、特に私の周りの人間に知ってほしいと思い、掃除を好きになるよう、妻や助手に説得しているが、まったく理解する気配がない。理解力がないか、すがすがしさが嫌いかであろう。
確かに、現在、掃除の楽しさを理解するのは困難かもしれない。しかし遠い未来、文明が発達すれば、ボタンを押すだけで、妻や助手が掃除をするようになるかもしれない。そこまでは無理だとしても、おいしいものを食べるだけで、自動的に掃除できるようになれば、誰もが掃除が好きになるだろう。
自分が掃除するのも好きだ。春休みに大学の私の研究室を掃除した。僅か五年の間にたまるゴミの量は驚くほどだ。
主なゴミは、種類、古雑誌、空き缶、ネジ、数年前のスポーツ新聞、数ヶ月前の枝豆の皮などだ。それらを除くと、後はロッカーとわれた机と十年以上の枝豆の皮だけだ。その他、チリ、ホコリ、ススのどれなのか、本体のあいまいな物が細かいところに入り込んでいる。本棚などを拭いて雑巾を洗うとバケツの水が見える黒くなる。何度も雑巾を洗っているうちに手が荒れてくる。私の身体はこういう仕事に向いていないのだ。いくら好きでも身体が向いていないことはよくあることだ。オリンピックで優勝するのが好きでも身体が向いていない。二枚目を演じるのが好きでも身体が向いていないなど。
掃除は基本的に移動である。ゴミも、最初かどこか、あるべき場所に収まっていたものが、あるべきでない場所に移動してきたものである。それをゴミ箱の中に移動する作業が掃除だ。
だが、物を散らかすというのも移動であり、この点では掃除と同じだ。そのため、乱雑さが一定限度を超えると、掃除の初期段階では、掃除によって片付いているというより、余計乱雑になっているように見える。その段階が五年間ほど続くと、永久に悪化の一途をたどるような気がしてくる。自分の人生のような暗澹たる前途を前にして、鼻歌もできなくなる。徒労感にとらわれて、今火事になって全部燃えてしまったらすっきりするだろうな、とまで考える。
どんなに好きなことでも疲れるものだ。徹夜でマージャンしても疲れることを思い出す。休憩なしで一生懸命にやりすぎたから、こんなに疲れただ、と反省し、休憩をはさむことにする。だが、一度休憩を入れてみると、掃除を再開するのが困難になっていることが判明した。休み方が足りないのかと思って休憩しつづけてみたが、再開が余計困難になっただけど。明日からゆっくりやろうと考え直し、その日は帰宅する。
翌日、最初から休みを入れるようにしてみた。それで見違えるほど楽になった。五分間掃除した、次の五分間の掃除が始まるまでの三時間の昼寝が心地がよい。やはり掃除は楽しい。だが、休み癖がついたのか、五分も掃除すると休憩したくなり、結局、その日は午後をまるまる費やして、机の上の書類を紙袋の中に移しただけで終わった。
翌日は、五分間掃除した後、一日休憩した。その次の日から、研究室に入るのを避ける日が二日続き、私は考えた。いくら掃除が好きといっても、すがすがしさに拘りすぎではないか。乱雑さを拒否するのではなく、乱雑な状態に心を開くようにすべきではないか。そして、自分で掃除するよりも、他人に掃除の喜びを説こう。
この発想の転換で人間的に成長したと思う。掃除をした結果、前よりも部屋が乱雑になり、どこに何があるかも分からなくなったし、他人に掃除の喜びを教えることに成功しそうもないが、研究室で一生暮らしてもいいと思えるようになった。
それから一年経つ、明日は、新入生の研究室訪問の行事がある。新入生が人間的成長していることを祈った。
责编:李亚林
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