未来を選ぶ
戦後が還暦になった今年は、折に触れて、昭和20年、1945年にあったことを振り返っている。9月の11日には、連合国軍総司令部(GHQ)が、東条英機元首相らの身柄拘束に動いた。最高司令官マッカーサーによる日本統治が、本格的に始まっていた。
折に触れて:機会があるたびに。「―注意する」
战后60年的今天,我还会偶尔回想起昭和20年,即1945年发生的事情。在当年的9月11日,联合国军总司令部(GHQ)限制了原首相东条英机等人的自由。联合国军最高司令官麦克阿瑟统治日本的时期正式开始了。
9月2日、マッカーサーは東京湾に浮かぶ米戦艦ミズーリで、日本の降伏文書の調印に立ち会った。艦上では、連合国や日本の代表を取り囲んで、水兵たちが鈴なりになっていた。その一角に、一枚の古びた大きな星条旗が掲げられていた。それは、幕末に来航して日本に開国を迫ったペリー提督の旗艦に翻っていたものだった。
すずなり[0]「鈴《生(り)》
〔「神楽カグラ鈴[3]」にたくさん鈴が付いているように〕果実が一本の枝にたくさん実って、こぼれそうに見えること。〔客が出入口におおぜいぶら下がっている昔の市街電車をも指した〕
たちあ?う:「立(ち)会う」(自五)
(一)△証拠人(参考人)となるために、その場に居て事の成行きを見守る。
(二)勝負をつける(ために、双方が立ち上がる)。
9月2日,在停泊于东京湾的美国战舰密兹里号上,麦克阿瑟参加了日本投降签字一事。舰船上,众多水兵围着联合国及日本代表。在舰船的一角,悬挂着一面巨大、有些发旧的美国星条旗。这是幕府末年,驾驶舰船来到日本、从而揭开日本开国史、勃利提督战船上曾经飘扬过的大旗。
マッカーサーは、米国民に向けてこう述べたという。「きょうの私たちは九十二年前の同胞、ペリー提督に似た姿で東京に立っている」(「マッカーサー回想記」朝日新聞社)。日本にとって、敗戦による占領は、幕末に次ぐ「第2の開国」だった。
据说麦克阿瑟是这样对美国国民说的。"今天,我们就以92年前的同胞、勃利提督一样的姿态矗立于东京的"(「麦克阿瑟回忆录」朝日报社)。对日本而言,战败而导致的占领,(可谓)是紧接幕府之后的"第二次开国"。
それから60年、日本は占領下に定めた平和憲法を掲げつつ、軍備では世界有数の国となった。しかし今のところ、自衛隊は、一人の外国人も殺害していない。一方米国は、世界の各地で戦争を繰り返し、自、他国に、おびただしい数の墓碑を築いてきた。
那之后的60年,日本一直遵守着在占领下既定的和平宪法,而军备上已成为世界上屈指可数的先进国家。然而直至现在,自卫队都不曾杀害过一个外国人。而另一方面,美国却在世界各地不断挑起战争,在自己和其他国家,都筑起无数的墓碑。
今の時代は、どの国も、外国との関係を重くみなければ立ちゆかない。一国への偏重ではなく、視野を広げ、とりわけアジアの一員として、尊敬の念をもって交われるようにしたい。
在现在的这个时代,任何一个国家,如果不注重和其他国家的友好关系是无法立足下去的。不偏重任何一国,而该拓展视野,尤其是作为亚洲的一员,更希望我们能以尊敬之心与他国交往。
総選挙が、戦後還暦の年に巡ってきた。この国の未来を選ぶことは、世界の中の日本のありようを選ぶことでもある。
大选在战后60年之际来到。选择这个国家的未来,同时也就是选择存在于世界、日本的应有的态势
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