- 讲师:刘萍萍 / 谢楠
- 课时:160h
- 价格 4580 元
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ほん‐ぞん「本尊」
1寺院などで、礼拝の対象として安置される、最も主要な仏?菩薩(ぼさつ)像。画像?曼荼羅(まんだら)?名号などのこともある2身辺に常に持ち、その守護を祈る小形の仏?菩薩像。守り本尊。
3(多く「御本尊」の形で)その話題や事件の中心になる人。当人。本人。からかいの気持ちをこめていう。「当の御―だけ話題の外だ」
推古天皇[(五五四~六二八)]第三三代天皇。在位五九二~六二八。欽明天皇の第三皇女。名は豊御食炊屋姫(とよみけかしきやひめ)。敏達天皇の皇后となり、崇峻天皇が蘇我馬子(そがのうまこ)に殺されたのちに即位。聖徳太子を摂政として国政を行った。
见到日本最古老的佛像是在两年前的春天。那是奈良县明日香村飞鸟寺内、釈迦如来的座像,近三米高。据说那是在7世纪初,女帝推古天皇让佛师鞍作鸟止利建造的。
後年火災で焼けた。修復のあとが痛々しい。しかし、一部は当時のままだという顔のあたりをしばらく眺めていると、かすかな笑みの中に古代のおおらかな息吹が感じられた。
痛々しい:気の毒で見ていられないありさまだ。
おおらか ―な/―に (落落大方、胸襟开阔、豁达)
〔△育ち(環境)がよくて〕細かい事にこだわらない様子。「―な心の持主」
佛像后来被大火焚烧。修复后总看着有些心痛。不过,远远地眺望那张据说还部分保持原样的脸庞,还是能够不由地感觉到那微笑中所蕴含的豁达气息。
飛鳥寺は、大化の改新にもゆかりのある史跡だ。645年6月、豪族の蘇我入鹿(そがのいるか)を暗殺した中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)は飛鳥寺に入った。そして甘樫丘(あまかしのおか)の自邸にこもった入鹿の父、蝦夷(えみし)とにらみ合ったという。
ゆかり[0](因缘、关系)
たどって行けば その人になんらかの関係が有ること。
「故人―の〔=故人と関係の深い〕地で/縁エンも―〔=ちょっとした つながり〕も無い」
睨(み)合?う[4]:(自五)
(一)互いに(敵意を持って)睨む。(互相瞪眼、盯视)
(二)〔手出しはせずに〕互いに敵意を持って対立する。(敌对、敌视)
飞鸟寺,是和大化改新颇有渊源的一个史迹。645年6月,暗杀豪族苏我入鹿的中大兄皇子来到了飞鸟寺。而入鹿的父亲、蝦夷正盘踞在甘坚丘自己的家中。双方相互敌对。
その甘樫丘のふもとの遺跡で、入鹿の屋敷の一部だった可能性のある建物などの遺構がみつかった。今回発掘された柱の穴から想定される建物や塀は、小規模なものだ。しかし、94年には、すぐ近くから焼けた木材や土が見つかっている。1400年近く前の時代への想像をかきたてる発見だ。
在甘坚丘山麓的遗迹中,发现的一些建筑遗址,很有可能是入鹿家宅的一部分。从这次出土的柱子上的小孔来看,该建筑物及其围墙均属小规模建筑。但是,94年在其附近发现了焚烧过的木材及泥土。这是一个激发人们去想象近1400年前那个时代的发现。
「冬(ふゆ)十一月(しもつき)に、蘇我大臣(そがのおほおみ)蝦夷(えみし)?児入鹿臣(こいるかのおみ)、家を甘橿岡(うまかしのをか)に双(なら)べ起(た)つ。大臣の家を呼(よ)びて、上(うへ)の宮門(みかど)と曰(い)ふ。入鹿(いるか)が家をば、谷(はさま)の宮門と曰ふ……家(いへ)の外(と)に城柵(きかき)を作(つく)り、門(かど)の傍(ほとり)に兵庫(つはものぐら)を作る……恒(つね)に力人(ちからひと)をして兵(つはもの)を持(も)ちて家(いへ)を守(まも)らしむ」(「日本書紀」岩波書店)。この記述の通りだったとするならば、丘は砦(とりで)のようだったのかも知れない。
"冬十一月,苏我大臣暇夷与入鹿父子,双双于甘缰冈修建家园。勾结大臣,欲入宫门。入鹿称宅门为谷之宫……在宅门外竖起栅栏,在门边修建兵库……以强壮兵士守护家门。"(《日本书纪》岩波书店)如果真如此文记述,丘或许真的修建得如城寨一般。
今、この丘には誰でも登れる。坂の上の見晴らし台から大和三山も一望できる。古代の権力が激しくせめぎあった舞台は、時にさらされ、穏やかな風景となって心をなごませてくれる。
如今,这座小山谁都可以攀登。从山坡上的眺望台上甚至可见大和三山。在古代权力争夺激烈的这个舞台上,随着时间的流淌,现如今已汇成恬静的风景温暖着我们。
责编:李亚林
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