こういう文化の底辺にある感動は、見失われやすいが、重要な問題を含んでいる。この底辺は、はるかにのびて、日本文化の基盤に通じあっているからだ。とかく「文化」というと、高度な成果を目安にする。たとえばエジプト·ギリシャ·ローマの文化、その神殿·彫刻、また殷(いん)·周(しゅう)の青銅器、といった絢爛たる過去の宝物、それらは文字どおり虚飾であり、それらには生活から切り離された凄みがある。しかし、こちらにはギリギリの手段で生きる生活者の凄み、美しさがある。どっちがどう、というのではない。人びとは大雑把に文化というが、このように異なったモメントがあり、それを両極に対置して考えなければならない。そして、私は次の問題に注目したい―余剰やヴァニティがかけらもない、絶体絶命の生命の流動のようなものが、この東洋の果ての文化圏、太平洋の潮の中にうちすてられたように点在した島々の歴史を久しい間支えてきたということ。日本も基本的には同様である。大陸から輸入された高度な文化、貴族的な文化の表皮をひっぱがしたら、その下でめんめんと生きつぎ生きながらえてきたわれわれの生命力を表現する文化が、切実な実体として浮かびあがるだろう。
西欧近代の文化は古代中近東、地中海文化の初源的な感動から出発し、それを土台として中世·ルネッサンスを経て結晶した。たとえば石という堅牢さを土台にした世界観、それはすでに文化の不朽性への呪文であり、強固さは明確と構成を暗示する。きめはあらいがスマートだ。ところがこちらにあるもの―その肌あいはまったく異なっている。長い歴史の間、地面にへばりついた植物のように、自然そのままに生きてきた。台風に吹きさらわれ、破れ、自然に朽ち、風化し、しかし新しい芽がその下からしっとり生え育ってくる。そして同じ運命を繰り返したどっていくのだ。柔軟で、きめの細かい肌合い。素朴で、もろく、はかないようだが、やはり強靭なのだ。それは地中海文化圏の初源的な感動とはまったく異質な強さである。
私は、何か日本のエッセンスが沖縄に生きていることを感じた……われわれの生活の根元的感動に触れることができる、この実感は疑いようがない。私は極論したい。沖縄·日本をひっくるめて、この文化は東洋文化ではない。地理的にはアジアだが、アジア大陸の運命はしょっていない。むしろ太平洋の島嶼文化と考えるべきである、と。
八重山の辛く苦しかった人頭税時代の残酷なドラマを伝える、様々の歌、物語を聞くとき、私はその美しさに激しくうたれる。
―恋しあっている若い二人があった。男は強制移民で遠くはなれていかねばならなくなった。一緒にやってほしいと願ったが、どんなに頼んでも部落が違うので許されない。いよいよ別れる前の夜、恋人たちは山に上った。いつも忍び逢っていた石の上で、一晩じゅう悲しみあった。泣きながら二人は石をたたいた。夜があけて、見たら石に二つ穴があいていた。そのくぼみは女のほうが深かった……。
こんな美しい悲しみ、こんな純粋な話を私は知らない。さりげない単純さ。たとえばギリシャ悲劇などの、天地が動顚するような慟哭(どうこく)の悲劇にくらべて、このくぼみはどんなに小さく、ささやかであるか。だからこそまた痛切である。単純で、底ぬけに無邪気、しかも絶望的になまなましい嘆きをうち出している。
八重山では、百姓はあんまり辛くって悲しくって、その泣き声が歌になったと言われている。詩の中の女や男の悲嘆に、自分の運命を重ね合わせて泣きながら、彼らは重すぎる仕事に耐え続けたのだろう。だが、歌はまた生きるハリでもある。歌がただ悲しいだけだったら、そうたびたびは歌われまい。彼らが絶望的な哀調を繰り返し繰り返し、何百千度も歌って、あきないとすれば、ネガティブな表現をとっていても、それはまた逆に生きることの確かめであり、生甲斐だったといっていいのではないか。
沖縄は踊りの国である。四季を通じての、数々の祭りの芸能はもちろん、結婚、誕生、還暦や古稀の祝い、新築、旅立ちの時など、あらゆる機会に踊りがある。舟出には海辺で、また、旅している者の留守宅では、親族たちが集まり、その人をしのぶ歌を歌いながら、輪になって踊る。こんな風に踊りや歌が日常にしみこんでいるから、別に正式に習わなくても、誰でも自然に踊りにとけこむことができる。私は闘牛場で、牛の飼主らしい中年のおばさんが踊るのを見た。ひょこひょこと手をふりあげ、足を踏む。踊っている、というよりは身体全体で喜んでいる。喜んでいるというよりは、やはり踊っているのだ。それは私が沖縄で見たすべての踊りの中で、もっとも純粋で、直接的なエキスプレッションだった。それは少しも儀式的なものではない。みんなと喜び合う気持ちが自然とあふれ出てくる表現.ひどく率直な肉体のリズムであるということはすぐわかった。かつてはすべての人間にこのように生命の躍動を身体全体で表現する自由があったに違いない。人間はなぜ、いつ、このようなこだわりのない純粋な生活表現を失ったのだろう。
沖縄には日本の原始宗教である古神道に近い信仰がいまだに生きている。"のろ"はその神秘的な女性の司祭、つまりシャーマンである。祭りは"御嶽(うたき)"で女性だけで行われた。御嶽には神体もなければ偶像もイコノグラフィーもない。ただ香炉とよばれる、それを通して神を拝す石があるだけである。神はこのように何もない場所に降りてきて、透明な空気の中で人間と向かい合う。いったん儀式が始まると、この環境は何にもない故にこそ、逆にもっとも厳粛に神聖にひきしまる。日本の古代においても、神の場所はやはりここのように、清潔に、なんにもなかったのではないか。おそらくわれわれの祖先の信仰、その日常を支えていた感動、絶対感は、これと同質だった。でなければ、こんな、なんのひっかかりようもない御嶽が、このようにピンと私の肉体に迫ってくるはすがない。―こちらの側に明らかに何か触発されるものがある。私は感ずる、日本人の血の中、伝統の中に、このなんにもないきよらかさに対する共感が生きている、と。この御嶽にきて私はハッと不意をつかれたようにそれに気がつく。そしてそれはいいようのない激しさを持ったノスタルジアである。
「解説」
本書は、現代の代表的な芸術家のひとりである岡本太郎が、沖縄の文化との出会いによる衝撃を語ったものである。しかし、これは単に沖縄だけに限っての文化論だけでなく、日本文化全体、その深層についても語っている。「忘れられた日本」という表題にはその意味がこめられている。
本書に実証的な、沖縄と日本の文化系統論の如きものを期待するならば、読者は当てが外れるだろう。著者が沖縄に日本文化の原初的な姿を発見するとき、それは文化人類学者の眼で眺めているのではない。日本文化のレリックとして沖縄のあれやこれやの文化要素を問題にしているのではない。もちろん、日本文化の古典的な要素の多くが沖縄に見出されることは間違いない。たとえば、現在の沖縄の言語は古代の日本語をもっともよく伝えていると言われる。しかし、岡本が見ているのは、文化の生まれる場、その生命の感動を芸術家としての眼で見ているのである。
岡本は本書を「日本残酷物語」の中の柳田国男の「山の人生」の一節の引用から始めている。その残酷の極にある人間生命のぎりぎりの美しさ、「痛切な生命のやさしさ」、それが今日まで日本とその周辺の世界をささえてきた、と岡本は言う。彼が沖縄に見出したものは、まさにこのようなものであった。
沖縄は一六○九年、薩摩の島津侯に征服されて、以後冷酷無残な収奪を受けるようになる。特にその負担は離島の八重山に重く押しつけられた。十五歳以上、五十歳までの男女に、一律の頭割りで重い年貢が課せられた。人頭税である。
「この貧困と強制労働の天地」に岡本が発見したのはなにもない、そして無形の―歌や踊や御嶽であった。それらから受ける感動の中に、日本文化の切実な実体がある、と岡本は言う。そして日本文化をあらわすと一般に考えられている日本舞踊、三味線、わび·さびの美学といったものは、近世の頽廃にすぎない、と。
岡本は、美しい芸術運動の旗手として、幽玄、静寂、わび·さびの日本趣味をエセ伝統主義として批判してきた。縄文土器の力強い美は、彼によって再発見された。また彼は、文化は東京·パリ·ニューヨークにしかない、といった地方のインフェリオリティ·コンプレックスを打ち砕くために、芸術の原点となる生活的感動をほり起こすことに努力してきた。本書はそうした仕事の延長上にある
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