- 讲师:刘萍萍 / 谢楠
- 课时:160h
- 价格 4580 元
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漢の高祖の五年(BC.202)、漢楚の争いは大詰めに入った。項羽は垓下に追いこまれて、「四面楚歌」をきき、ついに劉邦(高祖)の前に力尽きた。
虞美人と別れ、愛馬の騅にまたがり、わずか八百余騎で囲みを突破した項羽は、やがて二十八騎になったのを見て、最後の決意をかためていたが、臨淮で漢軍をかきまわしたのち、いつしか、南へ南へと向かっている自分に気付いていた。やがて、長江の北岸に出た。烏江を東へ渡ろうとしたのである。渡ればそこは、自分が挙兵した江東の地であった。
そのとき烏江の亭長が舟をつけて、かれを待っているのが眼に入った。
その亭長は、項羽を見ると言った。
「江東は、天下からみれば、小そうございますが、地方千里、民衆数十万、なお王たるに足りるところです。
どうか大王には、いそいでお渡り下さい。
他に舟はございませんから、漢軍が追いつきましても、渡れません。」
すると項羽は珍しく笑って、それをことわった。
「もはや、天が自分をほろばしたのだ。
自分は渡らんぞ。
そればかりではない。
八年前、自分は江東の子弟八千人と、この江を渡って西に向かったが、いま自分と帰るものは一人もいない。
たとえ江東の父兄があわれんで王にしてくれても、どうして会わせる顔があろう。(我、何の面目あってか之を見ん)」
項羽は、漢軍のはげしい追撃をうけて、苦戦の余り、江東に心ひかれてそこまで来た自分を恥じたのであろう。数年前、咸陽を陥れた時、
「錦を着て夜行くが如し」
と言って故郷へ帰った自分が、いまは単騎、戦塵にまみれ、尾羽うち枯らし、逃げまわっていることを思い知ったのであろう。
「何の面目あってか之を見ん」、それはいかにも戦国の覇王が自分に言いきかせるのに、ふさわしい、最後の言葉であった。
項羽は愛馬を亭長に与えると、もはや心残りもなく、むらがる漢軍の中へ斬り込んでいった。数百人を殺したのち、漢軍の中に旧友を見つけた彼は、
「自分の首を切って、ほうびをもらえ。」
そう言って、みずから首をはねて死んだ。まだ三十一歳の若さであった。その首には、千金と万戸の邑の賞がかけられていた。むらがる漢兵のため、身体はバラバラにされた。奪い合いで数十人の者が同士討ちをして死んだ。バラバラの死体は再びつなぎ合わされて、項羽の死体であることが確かめられ、それぞれ賞の領地を与えられた。
その風景は、「何の面目あってか之を見ん」と言った項羽の言葉といちじるしく対照的であった。腸をどろりと出し、ゴロリところがされ、つなぎ合わされた、異様な死体は、十二月の寒風に吹きさらされて、浅ましい人間の世界を嘲笑しているように見えた。
责编:李亚林
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