- 讲师:刘萍萍 / 谢楠
- 课时:160h
- 价格 4580 元
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漢の武帝の天漢二年に、太史令(記録官の長)であった司馬遷は、「李陵の禍」によって腐刑(宮刑ともいう。去勢する刑罰)に処され、獄に下された。
廉直?忠誠の武将であった李陵は、五千の歩兵だけを率いて匈奴征伐にむかい、文字通りの勇戦敢闘ののち、天漢二年に部隊は全滅し、彼自身は、人事不省におちいっているうちに捕虜にされた。李陵からの勝報がとどくたびに、武帝と漢室の百官とは喝采していたが、ひとたび敗報に接すると、口をそろえて非難した。このとき、司馬遷のみ、敢然として李陵を弁護したので、武帝の逆鱗にふれて獄に下された。これが「李陵の禍」である。
正当なことを正当に主張して刑に処された司馬遷は、何物をもたのまず、みずからの手によって、人間の正当な歴史を書きのこそうと決意した。一体、腐刑を受けた人士は、生きながらえるべきではないのに、この決意のため、司馬遷は、あらゆる恥辱にたえて生きのび、懸命に書きつづったのが「史記」である。彼のこうした決意は、従って、「史記」
全篇を通じて痛烈に人の心に食いこんでくるのであるが、特に、「伯夷列伝」は、端的にそれを愬えている。彼は言う――.
よく「天道親なし、常に善人に与みす」という人があるが、これは、人間が空しく天に期待している言葉である。この言葉のとおりなら、善人はつねに栄えるはずである。ところが、そうはいかない。伯夷?叔斉が、仁を積み、行いを潔くしたことは伝えられるとおりだが、しかし、彼らは餓死して果てた。また、孔子の七十人の高弟のうちで、孔子が、真に学問を好むものとして賞揚したのは、顏淵ただ一人であるが、その優秀な顏淵は、つねに非常な貧乏に苦しめられ、米の糠さえも満足に食べることができずに、栄養失調にかかって、年若くして死んでしまったではないか。これでも、天が善人に与みすといえるのだろうか?また一方、あの有名な大悪党の盜跖は、日ごとに罪のない人民を殺し、無惨にも人の肉を膾や脯にもしたほど、ありとあらゆる悪事を公然と行い、数千人にのぼる徒党をあつめて天下に横行したのに、しかも、ヌクヌクとして、長寿を完うしているのだ。これは、一体、どんな徳があったからなのであろうか?
以上はあまりにも顕著な例であるにしても、これに類似した事柄は、日常茶飯のあいだに、われわれの周囲にいくらでも起っている。すこし注意してみれば、操行のおさまらないままに世の中の秩序をみだし、しかも、一生逸楽して、富を子々孫々に伝えるものも少くないし、その一方では、また、つねに恭謙に身を持し、正しい道のみを歩みながら、災禍のとりことなるものも、数えきれないほどである。それやこれやを通観してみると、ここに重大な疑問が残る、「天道是か非か」と。
この話は、前半を「史記」の?太史公自序?から、後半を?伯夷列伝?から取った。?天道是か非か?という天を疑う悲痛な言葉は、?伯夷列伝?にある。
责编:李亚林
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