- 讲师:刘萍萍 / 谢楠
- 课时:160h
- 价格 4580 元
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前漢第九代の孝成帝の世。この頃から、中国古代史にしばしば出て来る宦官と外戚たちが勢力を得、政治までも支配するようになってきた。
孝成帝の時の外戚は王氏で、一族いずれも立身出世し、政治を思う通りに動かしていた。この有様を見て憤慨したのは南昌(江西省)の長官、梅福という気骨のある男、帝に上書して言った。
「いま外戚の権力が日に日に盛んとなり、そのために漢室の威光は地に落ち、帝の威令もサッパリ行われていません。
陛下はこの実情を何と思召すか。
先帝以来の忠臣石顕を追放されて以来、日食や地震が多く、水害に至っては数え切れません。
あの天下が乱れた春秋時代にさえなかったほどの、天変地異のありかたです。
これは政治が正しく行われていない証拠です。」
だが、帝は一向反省する色もなく、ますます王氏一族を重用し、安昌侯張禹までが、帝の師である故をもって、政治にまで参画するようになった。いままで黙っていた官吏や人民もこの乱脈ぶりには、ついには非難の声を上げるようになり、帝の許へはその非を諫める上申書が殺到した。
さすがの帝も多少あわてて師の張禹の所へ出かけ、これらの上申書を見せ、?どうしたらよいか??と相談した。ところがこの禹先生、名前はむかし黄河の水を治めて聖人とたたえられ、天子にまつり上げられた夏の禹王と同じだが、その了見は月とスッポンほどにも違う腰抜けのインチキ学者、?もしや王氏の一族に恨まれでもしたら……?と心配し、
「恐れながら、春秋時代の日食や地震は、諸侯が互いに殺し合ったり、外敵が侵入したりしたせいであろうかとも思われますが、何しろ天変地異の意味は深遠で、とてもうかがい知ることはできません。
ですから聖人孔子も、あまりこうしたことには言及しておられませんし、性と天道については、愛弟子の子貢でさえ教えてもらえなかったほどです。
それをろくろく学問のこともわからぬ小人どもが、とやかくいって人を惑わすとは、まったくけしからぬことです。
そんな輩のいうことなんぞ、一切気にされる必要はありません。」
と、まことしやかに答えた。帝も、?なるほど?と思って、一そう王氏一族や禹を信任した。そこで業をにやした槐里の知事の朱雲という男、帝の前にまかり出、
「願わくば陛下の御物蔵にある鋭利な剣をいただいて、悪人の首をはね、ほかの者への見せしめにしたいと思います。
何とぞお許しのほどを……。」
と願った。帝はたずねた。
「それは一体だれじゃ?」
「安昌侯張禹にございます。」
帝は真っ赤になって怒った。
「黙れ、無礼者、おのれは卑しい分際で、朕の師を満座の中で良くも侮辱しおったな。
もはや許さぬ。
こ奴を引っ立てて首をはねい。」
?ハッ。?と答えた御史(官吏の罪を糾明する役目)はいきなり雲を殿上から引きずり下ろそうとした。雲は必死に手摺り(檻)に掴まり、なおも叫んだ。
「陛下、しばらく臣の言うことをお聞き下さい。」
御史も力いっぱい、雲を引きずり下ろそうとする。雲は手すりを離さない。とうとうその手すりが折れ、二人は壊れた手すりもろともドウと地面へ落ちた。
「臣のこの身はどうなろうともいといません。
ただ陛下の御代が気に掛かるばかりでございます。
何とぞご明察のほどを……。」
と血涙にむせびながら訴え続けた。
この有様を見ていた将軍の辛慶忌、雲の態度に打たれたが、パッとそのそばへ飛び降り、頭を地面に叩きつけ、額からタラタラ血を流しながら、帝にその無謀を訴え、思い止まるよう諫めた。初めはカッとなった帝も、二人の国を思う真心に感じ入り、
「朕が悪かった。
すんでのことに、あたら忠臣を失うところであった。
よくぞ身を挺して諫めてくれた。」
と機嫌を直して奥へ入っていった。
その後、家臣がこわれた手すりを直そうと帝に願い出たところ、
「いや直すには及ばぬ。
それは直諫の忠臣の記念だ。
あれを見るたびに、当時のことを思い出し、政治を正すいましめとしよう。」
と、修理するのを許さなかったので、帝の在位中はそのままにしておかれたというが、こんなことぐらいで王氏一族の専横がやむものでもなく、逆臣王莽に帝位を奪われて、前漢は亡びるのである。
(?漢書?朱雲伝、?十八史略?)
なお、折檻と同じ意味で?切諫?という言葉が使われているが、これは?史記?の?主父偃伝?にある、?明主は切諫(厳しい諫言)をにくまない?という言葉から来たものである。
责编:李亚林
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