- 讲师:刘萍萍 / 谢楠
- 课时:160h
- 价格 4580 元
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わが事は成った!呉王夫差は思っていた、そう思う理由はあったのだ。父の仇であり、長年の宿敵である越は、完膚なきまでにたたきのめし、属国にしてしまった。越王句践は肝をなめて復仇したがっっているそうだが、なにができるものか。…南方の楚、北方の斉も攻め破った。
さえぎるものはない。そして今、この黄池に中国の諸侯を集めている。
ここで認められれば、名実ともに、広大な中国に覇を称えられるのだ。
一つだけ問題があった、牛の耳である。盟いのときに牛の耳を執る順序について、夫差は、自分が先に執って血をすするのだというのに、晉の定公が反対し、自分こそ先だと言いはるのだ。だから、黄池の会はもうながいのに、まだ盟いができない。じりじりする、だがながいこともなかろう、連れてきた呉の大軍がものを言うさ……と、夫差は考えていた。
だが、折りも折りだった。本国から早馬がかけつけた。越がついに軍をおこしたのだ!たしかに、呉軍の主力が出はらっている今こそ、越にとって絶好の機会だった。名臣范蠡の軍は海ぞいから淮河をさかのぼり、夫差の太子を破って、とりこにした。越王句践は、きたえぬいた精兵をひきい、江をのぼって呉の都に突入していた。夫差にとって、足もとの砂がくずれるような瞬間だった。今こそ覇者にと思った、その折りも折りに!
夫差は眉をしかめ、考えふけった。ついに決心がついた。その夜、彼は軍勢に戦いの準備をさせた。馬の舌をしばり、鈴をつつみ、旗差物をつらねて、呉軍三万は粛々とすすみ、やがて晉軍まぢかに陣を布いた。
夜のほのぼの明け、夫差は命令を下した。たちまち、鉦太鼓が鳴りわたり、雄叫びは天地をふるわせた。晉の陣が、右往左往するもよう。やがてそこから晉公の使者がかけつけて伝えた。
「本日の昼を期して、盟いをいたしましょう。」
強行策は成功したのだ。その日、晉の定公は、ついに夫差が先に牛耳を執ることを認めた。呉公夫差として、という条件はつけられたが、今の夫差には、それはどうでもよかった。一刻も早くかたづけて、国に帰らねばならない。……
牛の耳をとり、それを裂いて、夫差は先に血をすすった。これが覇者のしるしであり、このためにこそ苦心をつづけてきたのだ。感無量であった。……だが、夫差は知っていただろうか、それは彼にとって、落日の最後の閃きのようなものであったのを。彼はその後、越に敗れつづける。そして六年後、越の大軍にかこまれて、寂しく自決するのである。
だが、夫差がこれほどに執着した、「牛耳を執る」とは、いったいなんなのか? それは、古代中国で、諸侯が集まって盟いするときの一儀式である。牛の耳をとり、裂いて血をすすりあう、こうして神前に誓いをたてるのである。牛の耳には穴がないように見える。神の前に誓いをたてる面々は、こうして牛の耳をとって、自分はちゃんと耳の穴をあけよう、神の言を聞こうと、自ら戒めたのだといわれている。
その昔は、牛耳を執るのは地位の低いもののほうで、地位の高い盟主は、ただ立ちあうだけだったらしい。それがいつか、最も尊いもの、つまり盟主がまず牛耳を執ることになった。だから「牛耳を執る」ということが、その会合で盟主と認められたことを意味することになったのだ。さてこそ、夫差にかぎらず、中国の諸侯は、「牛耳を執る」ことに熱中していたのである。
諸侯はほろび、儀式はすたれたが、このことばは残った。そして、同盟の盟主になること、団体や集まりの首領になることを、このことばで表すようになった。「いっちょう牛耳ってやるか」などというのも、この変形だ。
牛の耳、それの執りあい、血のすすりあいで目の色をかえる。ちょっとおかしいが、笑うわけにもいくまい。一枚の紙が、人を戦いに連れていった。一枚の札も、目の色をかえさせる。
(黄池の会で、呉王と晉公のどちらが先に牛耳を執ったかについては、史記でも左伝でも両説あって、決しがたい。ここは仮に、春秋が外伝といわれる「国語」の叙述にしたがった。)
责编:李亚林
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